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元禄14(1701)年9月5日発行(第112号)

忠臣蔵新聞

理論派の大高源五さん、
内蔵助さんの存念を正しく理解

浅野家が再興され、
上野介さんが処分されるまで
「口おしき月日もおくり候」

大高源五さん(大石神社) 内匠頭さんより源五さんが
拝領した茶器(大石神社)
9月5日(赤穂支局発)

殿さんが短慮で処分
天下に対して意趣はない


 記者は赤穂に在住の大高源五さんの母を訪ねました。それは赤穂浪士の中では理論家でとっている源五さんの本心を聞きたいと思ったからです。幸い源五さんから手紙が来ていました。その内容は「殿(内匠頭さん)が短気で、時と場所を考えず不調法だったので、幕府から処分されました。幕府には恨み
もないので、お城を返上しました。それは幕府に対して異議がない証拠です」 というものでした。

命を捨てるほど憤った仇をそのままに
することは武士の道ではない

 続けて「殿さんが乱心でなく、上野介さんに意趣があって切り付けたなら上野介さんは仇である。命を
捨てるほど憤った仇を安穏にしておくことは、武士道ではない。それ故早速吉良方へ討ち入りしたい所
ではあるが、大学様の御赦免も後少しである」とも書いてありました。


史料

 併殿様御らんしん(乱心)とも御座無く、上野介殿へ御いしゅ(意趣)御さ候由にて御切つけ成られた
る事にて候へハ、其人(吉良)ハまさしくかたきにて候主人の命をすてられ候程の御いきとをり御座候か
たきを、あんおん(安穏)にさしおき可レ申様むかしよりもろこし(唐)・我てう(朝)ともに武士の道にあらぬ
事にて候、それゆへさっそくかたきの方へとりかけ可レ申ところ、

浅野家再興を願って我慢する

 「上野介さんの処分があって、はじめて大学様の外聞もよくなる。殿さんは処分されたが、お家も残る
ことになる。
 そうなることを願って、『此節まて口おしき月日をもおくり候』」と締めくくっていました。
 この手紙を見る限りでは、速く事を図りたい安兵衛さんの気持ちも分かるが、ここは耐えに耐えて目的
を達そうという内蔵助さんの気持ちを正しく理解していることがよく分かります。

参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市発行)
渡辺世祐著『正史赤穂義士』(光和堂)
飯尾精著『実録忠臣蔵』(神戸新聞総合出版センター)

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