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元禄14(1701)年10月8日発行(第113号)

忠臣蔵新聞

理論派の大高さんの心も変える
江戸の異様な雰囲気

幕府の手先である上野介さんをやっつけて
スカッとしたいという江戸庶民の気持ち
赤穂浪士の仇討ちを有形無形に支援

吉良邸(A)周辺の浪士の住居
@堀部弥兵衛宅(両国米沢町)B前原・神崎・倉橋宅(本所相生町)
C堀部安兵衛宅(本所林町)D杉野・武林宅(本所横町)
10月8日(東京本社発)

大高源五さんも
内蔵助さんの下向を主張


 進藤源四郎さん(内蔵助さんの叔母の夫)と大高源五さんが江戸に到着し、早速堀部安兵衛さん宅(両国矢倉米沢町)を訪ねたが、逆に説得されしまう。
 源五さんにその時の状況を聞きました。
 「安兵衛さんらと詳しく話し合ったが、『上方ニテ存候トハ違ヒ三人ノ所存尤ニ候』(私が上方にいて思っていたのとは違い、安兵衛さん・奥田孫太夫さん・高田郡兵衛さんの3人が言うことはもっともだ)と納得し、早速内蔵助さんに江戸に来てもらうことを決めました」

弁も筆も剣も立つ安兵衛さん


 江戸の雰囲気を味方に付け、理論派源五さんを説得するほど、弁も筆も剣も立つ安兵衛さんのイメージが浮かんでくる。
参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市発行)
渡辺世祐著『正史赤穂義士』(光和堂)
飯尾精著『実録忠臣蔵』(神戸新聞総合出版センター)

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