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元禄14(1701)年12月25日発行(第119号)

忠臣蔵新聞

内蔵助さん、安兵衛さんにも手紙

「上野介さんの隠居は結構なことだ」
「弥兵衛さんとよく相談せよ」と抑え

大石内蔵助さん 堀部安兵衛さん
12月23日(京都支局発)

内蔵助さん、上野介さんの隠居を
幕府が認めたことを知る


「上野介さんの隠居は結構なことだ」と挑発的
「弥兵衛さんとよく相談せよ」との抑え

12月25日(京都支局発)  
 内蔵助さんは弥兵衛さんに手紙を出した後、安兵衛・高田郡兵衛・奥田兵左衛門さんら3人にも手紙を送りました。
 それは次のような内容である。
 「幕府が吉良上野介さんの隠居、義周さんの家督を認めたということであるが、それは結構なことである」
史料
 「(吉良氏去ル十一日御隠居御家督無相違左兵衛殿被申請候由扨々珍重…」
 「もはや今年は押し詰まっているので、来春ゆっくり相談したい。ご隠居(上野介さん)にお目に掛かりたいが、駄目なときは若旦那(義周さん)にお目に掛かろうそれならば、少しも普請(討入り)を急ぐこともない、弥兵衛様とよく相談するように」と。
史料

 「左候ハヽ御普請イラチ申事少モ無之候…不申及弥兵衛様被仰談御尤ニ存候」 

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