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元禄14(1701)年12月27日発行(第120号)

忠臣蔵新聞

安兵衛さん、内蔵助さんに
あせりの手紙

「上野介さんの所在、3月中は確認出来る

堀部安兵衛さん 奥田孫太夫さん 大石内蔵助さん

安兵衛さんは内蔵助さんに手紙
「2月に京都に行き、3月には江戸に帰りたい」
「3月中なら上野介さんの所在は把握」
「原・大高さんとも相談の上である」


12月27日(東京本社発)
 内蔵助さんの手紙が届く前、内蔵助さんに安兵衛さんらは手紙を送りました。
 その内容は次のようなものです。
 「12月11日、上野介さんの隠居と義周さんの家督相続が幕府により認められました。
 私たちは正月20日過ぎに江戸を出て、2月上旬に京都に着き、そして3月上旬に江戸に帰れるよう相談したい。このことは原惣右衛門さんや大高源五さんとも相談しています。
 3月中旬頃には上野介さんの所在は確実に分かっております。
史料

 「三月中旬頃ニハ彼仁在所慥ニ相知申手筋頼置申候、只今ハ必定本庄ニ被居候 趣ニ三ケ所ヨリノ手筋ニ承届申候」
 この時、高田郡兵衛さんは「病気なので署名できなかった」(病気故判形不仕候)と書いてある。
参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市発行)
木像彫刻(大石神社蔵)

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