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元禄15(1702)年1月26日発行(第126号)

忠臣蔵新聞

安兵衛さんの巻き返し策謀
内蔵助さんのピンチ

「喧嘩両成敗の嘆願は12月11日に終了」

堀部安兵衛さん 原惣右衛門さん 大高源五さん

安兵衛さん、同志に内蔵助さんへの不満を吐露
「私たちの意見を一度も取り上げない」
「喧嘩両成敗の嘆願は12月11日に終了」

1703年1月26日(東京本社発)
 安兵衛さんと奥田孫太夫さんは、原惣右衛門さん・潮田又之丞さん・中村勘助さん・大高源五さんら急進派同志に手紙を書きました。
 その内容は次の通りです。
 「内蔵助さんより去年12月25日の手紙が本年1月17日に届きました。内蔵助さんは『事を急ぐのは前後の様子から見て粗忽だ』と我々に言い、内蔵助さん自身は智仁勇を兼ね備えていると思っているので、どんな意見を言っても一度も聞いてくれません。
 赤穂での離散の時のお願い(喧嘩両成敗の件)は12月11日の上野さんの隠居で終わったのです。皆で話し合い、覚悟が決まれば下向をお願いしたい」
史料

離散ノ砌御願ノ意趣ハ極月十一日ニテ事済申候、各様今一 応被仰談候テ各様ノ御心底ニ落申候ハヽ御下向可被成候

 上野介さんは今は本所に居るが、明日どこにいるかどうか分からない。今はただ本所に居ることだけは紛れもないことです」
参考資料
 『忠臣蔵第三巻』(赤穂市発行)

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