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元禄15(1702)年1月26日発行(第127号)

忠臣蔵新聞

ついに「内蔵助抜き」を呼びかけ
内蔵助さんのピンチ続く

「20人おれば吉良親子の首が取れる」
そのリーダーに軟化していた小山さん

堀部安兵衛さん
石束毎公 りく
池田由成 クマ 良金 (主税)
━━━━ 良雄 くう
良昭 専貞 吉千代
小山孫六 源右衛門 良房
大石良欽 小山
源五右衛門
覚運
覚運 (大西坊)
(近藤源八室)
小山源五右衛門さんの系図 / 大石内蔵助さんの系図

急進派、内蔵助さんの叔父小山さんをリーダーに
「内蔵助さんと手を切ってでも討ち入る」
「20人おれば3月中に吉良親子の首が取れる」


1月26日(東京本社発)
 安兵衛さんは小山源五右衛門さんに本心を明かす手紙を書きました。小山さんは内蔵助さんの叔父さんで、彼の妹は近藤源八さんの奥さんです。内蔵助さんに代って、急進派からはリーダーとされていました。
 「赤穂は相違なく処分されたのに、上野介さんが処分されなくては一同安心出来ないという下心をもって、離散の時に幕府の役人にその旨をお願いしたのです。ところが上野介さんが隠居したことで上野介さんの処分がなくなりました。そこで『心外ではあるが内蔵助さんと手を切ってでも討ち入りすべきだ』と潮田又之丞さんとも話し合ったところです。
 内蔵助さんが承知しなくても、20人おれば3月中に是非討ち入り吉良父子の首は我々の手に入ると思っていまする。早々に下向して頂きたい」
史料

 「乍心外内蔵助殿手ヲ切候テ成トモト潮田又之丞殿始申合タル義ニテ御坐候…内蔵助殿御承引ナク候テモ廿人有之候ハヽ三月中ニ是非押込父子ノ首ハ此方ノ者ト存罷在候…早々下向候ヘカシト存

急進派、事を急ぐ余りリーダーを誤るか
先行きが不透明

 記者は安兵衛さんらの動きを追ってきましたが、本日大きな転換点を迎えたことを実感しました。江戸の安兵衛さんらは、説得に江戸に来ていた原さんや大高さんら内蔵助さんの腹心の部下を次々に急進派に転向させ、大いに勢いついています。
 ところが急進派を束ねるリーダーを誰にするかで、少し不透明な部分が感じられます。というのも、以前リーダーとした元江戸家老の安井さんらに裏切られた経験がああります。今回リーダーと仰いだ小山さんは家柄からは問題がありませんが、先日の大高源五さんの手紙では「この男は内股膏薬で不届きな奴」と報告されています。
 急ぐ余り、安兵衛さんらのリーダーを選ぶ目が鈍っていると言えます。ここら辺はさすが内蔵助さんだという感じがします。
 京都にいながら冷静な情勢分析ができるのは、内蔵助さんが江戸からの確かな情報を大石無人さんや三平さんらから得ているのではないかと考えられます。
参考資料
 『忠臣蔵第三巻』(赤穂市発行)

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