中途に事をやっては
再び亡君のなを汚す
内蔵助さんは事を急がない理由を皆に語りかけました。
「浅野大学さん(内匠頭さんの弟で浅野家の養子)が閉門を許されたら、私は早速江戸に下向して存念を申し上げ、我々と同じ考えなれば本望であるし、下知に従って死を以って行動したく思います。
だから、大学さんに討ち入りについて知らさずに事を破ることは不本意である。第一に赤穂で離散したときの幕府目付への嘆願が無意味となる。勿論亡君への忠義は大切ではあるが、今少しの幕府の処置を見届けずに、中途に事をやってはかえって死後、人の噂にもなり、亡君の名をこんな所も出すことになることになれば、くやしいことである」
捨てるべき時に捨てる場合
それは「快死」である
その後、内蔵助さんは自分の考えを初めて披露しました。
「もし大学さんに以上のことを言っても、我々に対して同意の意志がなければ、大学さんを捨てるまでである。亡君に忠義を尽くすと言って、お家の根も葉もうち枯らしては、忠義とは言えないだろう。捨てるべき時が来て捨てる場合は、残念という気もなく、『快死』が出来るというものだ」
(「亡君ノ忠義尽シ申トテ御家根モ葉モ打カラシ段是ニテモ忠義ト計ハ被申間敷候、可捨時節至リ捨候段ハ此方ニ残念モナク快死ヲ仕ニテ候」)
内蔵助さんの覚悟を聞き、時期は別として同志の目ざす方向とほぼ同じという考えが、安兵衛さんと同調していた彼らをして内蔵助に従わせた理由のように、記者には思われました。
|