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元禄15(1702)年4月2日発行(第136号)

忠臣蔵新聞

原惣右衛門さんの提案
「群を離れて宿意を果たそう」

内蔵助さんは「公約後、討ち入りを果たす」
原さんは「浅野家が再興されては仇討ちが出来ない」

原惣右衛門さんの木像と署名
4月2日(大阪本社発)

浅野家が再興されては、仇討ちは出来なくなる
頭立った者が切腹して面目を立てるしかない

 原惣右衛門さんは山科会議、吉田忠左右衛門さんの江戸での行動を知って、居ても立ってもいられず、堀部安兵衛さんと奥田孫太夫さんに手紙を書いたところだと語ってくれました。その内容は次の通りです。
 「大学さんが赦免されても、私たちが納得いくものになるとは思えない。そうかと言って、赦免後討ち入りしたんでは浅野家が滅んでしまう。そうなると私たち主だった者が切腹するしかない。 

上方で約束の群を離れて宿意を遂げる
内蔵助さんら大勢を除外しておれば、お咎めもない

 「去年の冬に噂したとおりに『上方で申し合わせた群から密に離れて宿意を遂げるべきだと思います。内蔵助さんら上方の者を大勢除外しておれば、大学さんへのお咎めもないと思います』(「上方申合ノ群ヲハ穏密ニ引ハナレ可遂宿意ト存候内蔵助殿初其外ノ上方者共大勢是ヲ除候時ハ木挽町御咎メハ有之間敷…」)

 武林唯七さんが来た時に伝えようと思ったが、若い衆(31歳)なので、漏れやすい。計画は秘密なので一味を吟味したいと思い、本心を言わなかった。いずれ五、六月には計画がどんなものかわかるだろう


 「この話をすると大高源五さんや潮田又之丞さん、中村勘助さんも同心してくれるでしょう。岡野金右衛門さんや幸右衛門さんも同心してくれると思います。江戸では倉橋さんや田中さんがよくないだろうか」

56歳の惣右衛門さんを過激に駆り立てるもの
江戸で主君の切腹を実体験した者の心情


 56歳の長老惣右衛門さんが何故、内蔵助さんを裏切ってまで過激な行動に突っ走るのか、とても興味がありその辺を探ってみました。
 浅野内匠頭さんが切腹したとき、惣右衛門さんは伝奏屋敷にいて足軽頭として家具や調度を手際よく引き払いましたが、この祭無念を涙を流したであろうことは想像できます。自分が付いていながら主君を守れきれなかったという実体験から、開城の時無血開城を説く大野九郎兵衛さんを叱りとばしました。
 つまり江戸に居て、主君の切腹を実体験した者のみが感ずる無念さと責任感が、惣右衛門さんをして過激な言動を取らせたのではないかと記者は考えます。

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