元禄15(1702)年7月22日発行(第147号)
安兵衛さんが送受信記録
を保管した理由?
記録は『ハムレット』のホレイショ?
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堀部安兵衛さん | 細井広沢さんの書(赤穂市花岳寺蔵) |
堀部安兵衛番記者の推測安兵衛さんはハムレットのホレイショ?内匠頭さんの切腹をめぐって、幕閣と側用人柳沢吉保さんとの間で様々な確執があることは以前お伝えいたしました。 安兵衛さんが6月18日に吉良邸討ち入りの同士を募るために京都に向かいました。その少し前に安兵衛さんは自分が出した手紙の写しと相手から来た手紙を『堀部武庸筆記』としてまとめ、これを細井広沢さん(安兵衛さんとは堀内道場の同門で、側用人柳沢吉保さんの儒臣)に預けました。 安兵衛さんは「討ち入りした場合、生きては帰れぬ」ということを覚悟していました。そのために、「何故吉良邸に討ち入りしたのか」という理由付けを後世に残しておきたかったのです。 側用人柳沢さん、赤穂浪士の情報全て掌握細井さんから見せられた『筆記』によって、側用人の柳沢さんは赤穂浪士の全ての動きを察知しました。このままいけば、安兵衛さんらの行動は単なる復讐劇に終わる恐れが出てきた。江戸庶民は幕府の貨幣改鋳によるインフレと生類憐みの令による非人道政策によって、幕府への不満のエネルギーを赤穂浪士による吉良邸討ち入りを熱烈に支援している。 将軍綱吉さんの主張と赤穂浪士の行動は一致?将軍の代替わりに武家諸法度が出される。将軍綱吉さんは天和3(1683)年、それまでの「弓馬に道」を「文武忠孝を励まし、礼儀を正すべきこと」に改めました。これは主君に対する忠と父祖に対する孝、それに礼儀による秩序つまり文治主義を主張しました。まさにこの赤穂浪士の動きは将軍綱吉さんの主張そのものです。 綱吉さんの意を人一倍嗅げる側用人の柳沢さんは分裂直前の赤穂浪士の動きに敏感に反応し、庶民のエネルギーを味方にしようとしたのである。 |