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元禄15(1702)年11月2日(第156号)

忠臣蔵新聞

脱盟の口上を分析(2)

今も昔も同じ
理由は建康や老母のこと

12月に神文を提出した上方の旧赤穂藩士

都合五十六人
小野寺十内 糟屋五郎左衛門 糟屋勘左衛門 萱野三平 大石瀬左衛門 貝賀弥左衛門 小山源五左衛門 梶 半右衛門 矢頭右衛門七 鈴田十八 早水藤左衛門 杉浦順右衛門 中村勘助 潮田又之丞 小野寺幸右衛門 岡野金右衛門 田中序右衛門 岡本喜八郎 河村傳兵衛 近藤源四郎 近松貞六 近松勘六 岡野治郎兵衛 菅谷半之丞 灰方藤兵衛 井口忠兵衛 平野半平 吉田忠左衛門
三村次郎左衛門 中村清右衛門 多海太郎左衛門 間 喜兵衛 横川勘平 河村太郎右衛門 大石孫四郎 山上安左衛門 榎戸新介 長澤四郎右衛門 近藤新六 大高源五 間瀬孫九郎 間瀬久太夫 神崎与五郎 茅野和助 桑田与三左衛門 木村岡右衛門 渡邊佐野右衛門 吉田澤右衛門 高久長右衛門 高谷儀左衛門 渡邊角兵衛 中田理平次 千馬三郎兵衛 里村澤右衛門 岡島八十右衛門 間 十次郎

8月15日

健康上の理由で脱盟
酒寄作右衛門さん

 「私はこの春より杖でやっと5〜7町歩けるほどである。…」「今になってお断りをするというのはとても恥ずかしいが、上に言ったような理由で列から除いて欲しい」
史料

 (「私儀当春より杖ニて五七町程ハ歩行仕候…只今ニ至御断申上候段近頃御心底之程御は
つかしく奉存侯得共、右之段心 落不申候間私儀は列ヲ御除キ可被下候
11月2日 

母の世話を理由に脱盟
鈴田重八さん

 「私の母は兵庫に落ち着くこと出来ず難儀していて、私も当惑しています。この母を見捨てることが出来ないなら、私の決意を捨てる以外にありません。…これは本意に背くことではありますが、以上述べたとおり仕方がありません。…この度の一件については神に誓って他言は致しません」 
史料

 「此母を捨不申候得ば私之一分を捨申候より外は無御座候…此度之儀毛頭日本之神以他言仕間敷候
11月2日

老母を見捨てがたいと脱盟
中村清右衛門さん

 「私の老母が特に難儀をしており、それについても不便に思い我慢ができません。大石内蔵助さんにもよろしくこの旨を伝えてください。…もっともお聞きしたことについては一言も他言いたしません。神に誓って…」
史料

 「老母儀殊の外難儀仕候段申越候得ば此段も不便に奉存難忍候…尤承及候儀一言も他言は不仕候

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