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元禄15(1702)年9月5日(第157号)

忠臣蔵新聞

仇討ちと武士道
その歴史と内容をさぐる

仇討ちデータ118件(江戸時代)
武士による主君の仇討ちは赤穂事件のみ

山鹿素行さん 荒木又右衛門さんの仇討ちの場

武士道の歴史


(1)平安時代

 自衛のために武装した集団の結合で、財産を守るための共同体的主従関係でした。古川哲史さんは「人間的な親しみにもとづいた恩愛の関係」と表現しています。

(2)鎌倉時代

 土地を媒介とした御恩と奉公による結合で、一所懸命とい言葉で表現される契約的主従関係です。先祖伝来の土地を本領安堵してもらうため、また新恩給与を得るために、親や兄弟は敵味方となって戦いました。

(3)戦国時代

 下剋上における主従関係で、戦いに勝って全国を統一し平和にすることが民のためになるという動機主義的な考えです。古川さんは「死を恐れぬ武士の自敬の精神に支えられ、武士としての意地を貫く動機の純粋性…」と表現しています。

(4)江戸時代

 平和な時の主従関係で、日常を重視しています。君父に対する忠孝や武士として当然行うべき道としての義などで、これらは結果主義的な考えです。山鹿素行さんは外見に現れる忠義を重視しています。

(5)明治時代

 個人的関係を超えた国粋主義的忠君愛国が主張されました。

山鹿素行さんの教え

 徳川家康さんによって採用された朱子学の特徴は「心の情欲をそのままにしておけば、道徳的本姓のはたらきが曇る。だから内面的に人欲を克服することが大切」ということです。つまり道徳
の自律的立場
を主張しています。
 他方、素行さんは「情欲に動かされる心のありかたをそのままに是認しつつ、外的な礼の規範によって人の心を制することが大切である」と言い、功利的な意識の上に道徳を築くことを肯定
しています。つまり道徳の他律的立場を主張したのです。  

仇討ちデータ(江戸時代)

全118件のうち主人のためは3件
その内武士は1件(赤穂事件のみ)

父のため 76件
兄のため 21件
母のため  7件
弟のため  5件
叔父のため  4件
主人のため  3件
養父のため  3件
参考資料
『歴史読本一月号(1998年)』(新人物往来社発行)
『日本史辞典』(角川書店発行)

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