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元禄15(1702)年11月13日号(第189号)

忠臣蔵新聞

上杉家家老色部さんの思案

吉良邸討ち入りを防ぐことは不可能
名門上杉家を守ることに腐心

徳川家 家康 秀忠 家光 綱吉 鶴姫
(御三家紀伊家) 頼宣 光貞 綱教
吉憲
春千代
上杉家 謙信 景勝 定勝 綱勝 綱 憲
政子 富子
‖━ @女
北条時政 三之助
@義氏 A長氏 B義定 義弥 義冬 義央 A女
足利義康 泰氏 尊氏 ━━━ 義周
B女
@女(島津綱貴室)
A女(津軽信房室)
B女(酒井忠平室)
@義氏(三河国守護)→A長氏(三河吉良庄)→B義定(将軍徳川秀忠の高家)
桜田御門の前の上杉邸(赤で囲んだ所
11月13日(東京本社)
 上杉家家老の色部安長さんは、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りすることを防ぐ事は不可能だと判断し、上杉家を守るという一事に軌道修正しました。
 その理由は以下の通りです。
@江戸の庶民は、将軍綱吉や側用人柳沢吉保は余りに江戸城奥深い存在で、とても手が出せない。そこで三角点の一角の吉良上野介を幕府側の代表とみなして憎しみ、赤穂浪士を反幕府側の代表とみなして、討ち入りを待望していました。
A幕府側にも吉良邸を江戸の管轄外に移すなど、赤穂浪士による吉良邸討ち入りを容認する動きがありました。

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