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元禄15(1702)年11月19日号(第190号)

忠臣蔵新聞

理論派で文人の大高さんが
茶道の山田宗匠に弟子入り

大高源五さん 大高さん筆「円相」 山田宗匠の墓
11月19日
 大高源五さんは大石内蔵助さんの指示で大坂の呉服商人脇屋新兵衛と称して、山田宗匠に入門することに成功しました。山田宗匠は吉良上野介さんの茶道の宗匠で、上野介は宗匠をよく屋敷に呼んでいたからです。
 しかし、武士が町人に成りきれるだろうか。又大坂に問い合わせれば、身元はすぐ割れるはずである。また吉良家出入りの者なら、この時期に接近してくる者は赤穂浪士かそれに関係のある者と簡単に推測できます。にもかかわらず簡単に入門を許したということは、文化人も赤穂浪士の討ち入りを支援していたということでしょうか。

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