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元禄15(1702)年11月7日(第192号)

忠臣蔵新聞

「人々心得覚」を協議・決定
平間村の「心得覚」を修正

内蔵助さんの緻密な
討ち入り心構え16箇条

@堀部安兵衛宅A杉野十平次宅B前原伊助宅C土屋邸D本多邸E鳥居邸F牧野邸
11月7日(東京本社発)
 大石内蔵助さんが気にしたことは、吉良の在宅の日、次いで討ち入りの目的、そして具体的な行動の細則です。目的がどんなにすばらしくても、失敗しては何もなりません。あらゆることを想定して討ち入りの心構えを16箇条にわたって協議し、決定しました。

三カ所に集合
定刻に討ち入り

@三カ所(林町五丁目の堀部安兵衛の借宅・本所徳右衛門町一丁目の杉野十平次の借 宅・本所村生町二丁目前原伊助の借宅)に集合する。
A最後に安兵衛借宅に全員が集結すると決める。しかし、これは後に変更される。
B定刻に討ち入る。
C吉良上野介の首を取った者が上野介の上着に包み泉岳寺に持参する。
D上野介の首はともかく泉岳寺に運ぶ。


吉良討ち取り合図は笛
引き上げ合図は鉦

E吉良義周の首は討っても、泉岳寺に持参する必要はない。
F同志で重傷者は首をはねる。
G吉良親子を討ち取れば笛を吹く。
H引き上げは鉦を打って合図する。
I引き上げは一時回向院とする。


幕府役人にも説明責任を果たす
討ち入るも引き上げも必死の覚悟

J引き上げ途中に幕府役人が来たら、討ち入り理由を説明する。
K上杉方から追っ手があれば、踏みとどまって戦う。
L勝負半ばに幕府役人が来たら、目的を達すれば一人も逃げないと説明して、目的を達 成せよ。
M引き上げは裏門からとする。
N討ち入る時も必ず死ぬと覚悟する。
O引き上げた後も必らず死ぬと覚悟する。


内蔵助さんはやはり大物
エネルギーを保存し、
大事には一気に注入


 この心構え16箇条を見て、内蔵助さんの細心さがよく分かる。犬でも大物はメッタヤタラに吠えない。「弱い犬ほどよく吠える」の例えのように、昼行灯とあだ名された内蔵助さんは、「ショウモウ」ないことにエネルギーを消耗しなかったが故に、重大な事には緻密な計画ができる人であることが分かります。
 特に幕府の役人に対して説明責任を果たすことを確認したり、本懐と遂げて気がゆるんだ時に対する必死の心構えを説いています。この綿密な指示があったからこそ、後世「忠臣蔵」という評価につながったのです。
史料原文

「  人々心覚
一 定日相究侯はゞ兼而定候通、総勢内々之三ケ所へ集り申すべき事、
一 兼而定侯刻限に打立つべき事、
一 敵之印揚候者、首尾次第、其の骸之上着をはき包候而、持参申すべき事、
一 父子打済侯而相図は笛を吹、順々に吹次申すべき事、
一 鉦之相図は総人数引取侯節、打申すべき事、

一 引取候途中、公儀より御見分使を受、意趣を申上ぐべき志に候
一 討入候覚悟、総様必死之心底決定之事候…退去候而も、必死之面々に候

出典
赤穂市発行『忠臣蔵第三巻』

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