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元禄15(1702)年12月14日(第198号)

忠臣蔵新聞

屋内組19人、屋外組28人
屋外組が多い不思議を探る

吉良邸の総人数は150人
赤穂浪士1人で吉良家臣3人では荷が重い
長屋組120人封じ込め政策が勝利の方程式

吉良邸(長屋の●は吉良側の家来の人数を表す。NHKTV画面を参考に作者が作画)
12月14日(東京本社発)

屋外組のうち庭守備隊を検証
16人の平均年齢は33歳
長屋組120人対策か?

 表門組のうち庭守備隊は早水藤左衛門(38歳)・神崎与五郎(37歳)・矢頭右衛門七(17歳)・大高源吾(30歳)・近松勘六(32歳)・間十次郎(25歳)の6人である。
 裏門組のうち庭守備隊は潮田又之丞(33歳)・中村勘助(46歳)・奥田貞右衛門(25歳)・間瀬孫九郎(22歳)・千馬三郎兵衛(49歳)・茅野和助(36歳)・間新八(22歳)・木村岡右衛門(45歳)・不破数右衛門(32歳)・前原伊助(39歳)の10人である。合計16人の平均年齢は33歳である。  

吉良側人数を調査
合計150人

 赤穂市発行の『忠臣蔵第一巻(概説)』から、吉良側の人数を調査してみる。屋内で死んだ者11人、負傷した者11人。屋外で死んだ者6人、負傷した者17人。逃亡したのか行方不明が4人。長屋で無抵抗の者(門番を含め)101人。以上となっている。合計すると150人になる。
内蔵助さんの勝利の方程式
@屈強16人が長屋組120人を封じ込め
A精鋭19人が座敷内30人と対決
 長屋には約120人がいた。屈強の16人がこの120人を封じ込めると、堀部安兵衛ら精鋭19人が屋内で縦横に働ける。今さらながら大石内蔵助さんの用意周到振りには驚かされる。 

出典
赤穂市発行『忠臣蔵第一巻(概説)』

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