元禄15(1702)年12月14日(第200号)
表・新・裏門守備隊12人を検証
リーダーや長老格が占める
リーダー・長老の資格ー動かざること山のごとし
@大局見地から方針を決定→後は部下の行動を信頼
A「動かざる」を見て、他の浪士も冷静に行動
裏門には 4人が守備 |
ここが新門? 4人が守備 表門には 3人が守備 |
12月14日(東京本社発)
表門を守備した浪士は大石内蔵助(44歳)・間瀬久太夫(62歳)・原惣右衛門(55歳)の3人で、その平均年齢は54歳です。内蔵助さんはリーダーで、惣右衛門さんらは長老格です。
新門の守備5人の平均年齢は50歳 長老と若手が混在、表門の北の門?
新門を守備した浪士は堀部弥兵衛(76歳)・村松喜兵衛(61歳)・貝賀弥左衛門(53歳)・横川勘平(36歳)・岡野金右衛門(23歳)の5人で、その平均年齢は50歳です。新門の位置はよくわかっていませんが、最長老の弥兵衛さんや若手の金右衛門さんらが混在しています。そこから推測して、表門の北側ではないでしょうか。
上野介さんの首級を挙げたのが午前6時頃 内蔵助さんの動かざる時間は1〜2時間 人間の限界は1時間? 引き上げ時刻については「引き払い候刻は、いまだ透きと明はなれ申さず候」(『富森助右衛門筆記』)とある。 多くの説は「午前4時頃吉良邸に討ち入った」とある。 元禄時代の12月15日は今の1月31日である。1月末の東京では東の方が白々となるのは6時過ぎ、太陽が山際にかかるのが7時前である。現在は1日を24時間にする定時法を採用しているが、当時は日の出・日の入りの時刻によって1日の長さが変わる不定時法を採用していた。 この方式によって当時の討ち入り時間を推測すると、「七ツ」は午前4時40分。そこから1キロの道を歩いたとして15分かかる。態勢を整えて5時頃に屋敷内に突入したことになる。 同じく引き上げ時間を推測すると、まだ白々となる前であるから午前6時頃となる。 筆者としては動かざる限界は1時間のようの気がするが、今後の解明がまたれる。 フォワードよりスウィーパー、野手より捕手 総大将の内蔵助さんも動かず→他の浪士の焦りが沈静化 刻々と時間が進むが、目指す上野介さんが見当たらない。探す浪士に焦りがつのる。しかし、じっと動かずに、状況を把握する立場の内蔵助さんは心をえぐられるほどの痛みを感じていたろう。動き回っている方がはるかに気が紛れる。 総大将が山のように動かなかったから、他の浪士も冷静に行動できたのである。野茂投手は「どんなピンチになっても、エースは表情を変えてはならない」を信条に、大リーグで活躍している。 信念がなく、部下を信頼していない証拠 リーダーは自分の決定に責任をとれ! 「人は生垣、人は城」(これも武田信玄さんの信念)。一番大切なのは人間であるという哲学である。一時リストラなどで会社に収益を与えても、必ずその人達から仕返しを受けるであろう。 |
参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市発行)
飯尾 精『忠臣蔵の真相』(新人物往来社)
菊地 明『図解雑学忠臣蔵』(ナツメ社)