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元禄15(1702)年12月14日(第204号)

忠臣蔵新聞

討ち入り装束は
「かっこいい」山形模様?
本当は実用的な火事装束

共通点(読者の質問にお答えします)
@黒の小袖と股引
A両袖の端に白木綿を目印として縫い付ける
B帯の中に鎖を入れる
質素な火事装束(模写=土居留湖南) 歌舞伎で使われる派手な山形模様
12月14日(東京本社発)
寺坂吉右衛門さんが吉田忠左衛門さんの衣装を記録
 「頭巾は黒革筋、甲は八幡座が三色の革、眉庇は猩々のような緋色、吹き返しは白の羅紗・かき裏惣廻りは縁取り、忍の緒は緋色のひちりめん…上着は黒小袖で家紋つき、茶色の上帯は常の帯を使い、その上に鎖手ぬぐいを結ぶ。股引は茶羽二重で裏がついており、股の間に鎖を入れる。茶色の絹に包んで、膝甲のように使う。すねあても絹に包んで使う。足袋は上紺外縫いにしてつけ、陣草鞋を使う。下帯は白色の沙綾で、前で紐を縫い付けて首にかける」(上着黒小袖家の紋つき)とあります。 
寺坂吉右衛門さん、吉田沢右衛門さんの衣装も記録

 「頭巾の後に姓名を書く。…上着は黒小袖で定紋つき…両袖は白布を縫いつけ、名前と年齢を書く。下帯は緋色のちりめん…たすきは白色のちりめんで格子染めである」(頭巾の後に名苗字名乗書…両袖白布にて上縫付名乗年迄書付)と書いています。

江戸の来ていた人の報告(12月16日)
全員が着込みの上に黒羽二重、紅裏の小袖、浅黄股引
 江戸に来ていた京都の人が送った手紙には「首尾よく上野介を討ち取り芝泉岳寺に引き上げた47人全員の服装は着込みの上に黒色の羽二重、紅裏の小袖、浅黄色の股引 (首尾能上野之介殿打仰(ママ)芝江引取申候、何も出立ハ着込之上ニ黒羽(二)重紅裏之小袖、浅黄股引)とあります。
どうして「下帯は白色の沙綾で、前で紐を縫い付けて首にかける」のか
 下帯とは「ふんどし」(現在のパンツ)のことで、討ち死にしたとき、男性のシンボルが見えないように気を使ったといいます。そのまで周到だったんだなーと改めて感心させられました。
山形模様は歌舞伎の世界の創作
 『江赤見聞記』・『忠誠後鑑録』・『堀内伝右衛門覚書』などを見ても、袖と裾に白と黒のダンダラ模様(山形模様)の入った黒羽二重についての記録はなかった。上の写真から分かるように、山形模様は歌舞伎の世界の創作と言えます。

参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市発行)
『忠臣蔵第一巻』(赤穂市発行)
飯尾 精『実録忠臣蔵』(神戸新聞社)
祖田浩一『なぞ解き忠臣蔵』(東京堂出版)
菊地 明『図解雑学忠臣蔵』(ナツメ社)

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