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元禄15(1702)年12月14日(第205号)

忠臣蔵新聞

高校教科書にみる忠臣蔵

(読者の質問にお答えします)
@高校用教科書19冊を調査
A赤穂事件(4冊)、赤穂浪士(7冊)
B大石良雄(4冊)、吉良義央(8冊)、浅野長矩(6冊)
教科書にみる忠臣蔵(作者が発表用に作成したもの)

12月14日(東京本社発)
家康から家綱の時代
 山川出版社から出されている『日本史用語集』は高校日本史教科書19冊に登場する歴史用語をすべて調査し、その冊数を記入しています。受験生に必須の参考書である。これに出てくる忠臣蔵関係の人物・用語を調べてみました。()内の数字は冊数です
 徳川家康(19)、徳川秀忠(17)、徳川家光(19)、徳川家綱(18)
 山鹿素行(19)、『聖教要録』(16)、『中朝事実』(12)
 林家(17)、林羅山(19)、文武弓馬の道(8)、保科正之(17)、文治政治(16)  

綱吉の時代
 徳川綱吉(19)
 柳沢吉保(19)、忠孝礼儀(?)、生類憐みの令(19)、荻原重秀の貨幣改鋳(18)
 浅野長矩(6)、吉良義央(8)、赤穂事件(4)
 林信篤(17)、荻生徂徠(18)、太宰春台(18) 

赤穂事件は中央の歴史と密接な関係
忠臣蔵文化は日本文化の流れ
 高校教科書の記述(ここでは山川出版社の『詳説日本史』)を赤穂事件とからめてまとめると(上記の教科書にみる忠臣蔵)、そのまま日本の歴史になることがわかります。
 宮澤誠一氏は、『近代日本と「忠臣蔵」幻想』の中で、「赤穂事件という出来事そのものの小ささ」と評価しています。
 中央の歴史を背景にして、赤穂事件(広義の忠臣蔵)を見ると、大きな影響を持っていることが分かります。 

史料に見る赤穂事件(広義の忠臣蔵)
史料(1)は、山鹿素行の師である北条氏長が保科正之の命を受け、素行に赤穂流罪を申し渡した時の史料です。「これから直ちに赤穂に参るので、あちこち連絡も必要であろう。そうなれば言われよ」と伝えました。
史料(2)は、北条氏長の命令に対して山鹿素行が応えた史料です。「いつも家を出る時は、後に心残りが無いようにしてきたので、そのような必要はありません」と申し伝えました。
史料(3)は、山鹿素行の教えをまとめた史料です。不耕の武士が指導者たるには、町人や農民に対して模範たるべきことを説いています。「主君の恥を雪ぐために死ぬことが武士の大義である」と主張しています。
史料(4)は、大石内蔵助らが討ち入る時に吉良邸の玄関に掲げた史料です。「主君である内匠頭が上野介を討ちもらした心情を思うと家来として忍びがたい。ひとへに亡君の意趣を継ぐだけの志です」
史料(5)は、赤穂に生まれ育った大高源五の母宛の手紙です。「主君である内匠頭が切腹させられ、敵である上野介がのほほんと生きていることを放置することは、武士の道ではありません」
史料(6)は、儒学者室鳩巣が京都の稲生若水(14)に出した手紙です。「上野介殿を討ち取ったということは、前代未聞である。忠義の気が凛々と満ち溢れている。このような赤穂武士道を育てた風土の厚もこれでよく分かる」

史料
(1)北条氏長「是より直に彼の地へ参るべく候間、何にても宿へ用所候はば、申し遣はすべく候」
(2)山鹿素行「常々家を出候より、跡に心残り候事は之れ無き様に勤め罷有候間・・御座無く候」
(3)山鹿語類「君の儺を奉ずる事、是れ勇士の節に死する大義也」
(4)浅野内匠家来口上「内匠末期残念之心底家来共難忍、偏継亡主之意趣候志迄御座候」
(5)大高源五「かたきを、安穏にさしおき申すべき様武士の道にあらぬ事にて候」
(6)室鳩巣「上野介殿を討取申候儀、前代未聞、忠義の気凛々。赤穂士風之厚も是に而相知れ・・」

赤穂事件の影響
 幕末、長州藩の吉田松陰は、山鹿素行の「武士たるもの、死を覚悟して家を出よ」という言葉に感激したと言います。
 吉田松陰の松下村塾で学んだ高杉晋作は、挙兵する時、赤穂事件にちなんだ12月14日にこだわったと言います。

参考資料
全国歴史教育研究協議会編『日本史用語集』(山川出版社発行)
教科書『詳説日本史』(山川出版社発行)
宮澤誠一『近代日本と「忠臣蔵」幻想』(青木書店)

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