home back next

元禄15(1702)年12月14日(第209号)

忠臣蔵新聞

討入りを今にあてはめると

異議あり!!
「あなたは討入りに参加しますか」の質問
封建社会を資本主義社会にあてはめる時代錯誤(アナクロ)
義士行列(2003年12月14日義士祭) 薬師丸ひろ子さん(2001年12月14日義士祭)
12月14日(東京本社発)
TV番組や学校の授業での光景
「あなたは討入りに参加しますか」の質問
歴史を学ぶとは「無常と普遍を峻別し、未来を探ること」
 義士祭の頃になると、TV番組で忠臣蔵がよく取り上げられます。司会者が「あなたは討入りに参加しますか」と問うと、参加者が「参加しません」とか「参加すます」と答える。そんな光景がよく見られます。
 学校の授業でも先生が質問したり、二手に分かれて「参加しない」「参加する」を討論する実践が新聞などで報道されます。
 記者(私)は以前からこうした手法に疑問を持っていました。それは時代も社会背景も全く違う事件を現在にそのままあてはめることの無意味性と危険性です。無意味とはナンセンスのことで、多くの方はお気ずきになられていることでしょう。危険性とは戦前忠君愛国を標榜する軍国主義に簡単に利用されたことです。
 江戸の元禄時代の事実を現代に分かりやすく甦らせることは大切ですが、時代や社会背景の違いはそれはそれとして正しく理解する必要があります。時代や社会背景と共に変化する無常なもの、変化しない普遍的なものを峻別しなければなりません。そこから未来の道筋を探ることが出来るのです。それが歴史を学ぶことの意味です。 
武士は「死ぬことと見つけたり」の時代
今は自由競争と民主主義の時代
 封建社会とは「土地の給与を通じて御恩と奉公によって契約された武士(主人と従者)の主従関係を主とする社会」のことです。一所懸命(今は一生懸命と書くが、”一生 命を懸ける”では意味不明)という言葉があるように、武士は土地(御恩)を守るために命(奉公)を懸ける。封建社会で禅宗が流行した背景には、いつでも、どこでも、全てを「無」にする必要なある武士の心情と一致したことがあります。その政治形態は土地を所有するピラミッドの頂点にある将軍の独裁政治を特徴としています。
 だから小野寺十内さんも「武士の義理のために命を捨てる」と言ったり、大高源五さんも「忠のために命を捨てる」と言い切ることができるのです。ただここでいう「死」は単なる死でなく、死を覚悟した時生をまっとうすることが出来るという意味での「死」です。
 フリーライターの山家誠一氏がNHKの「新撰組の美学2004」という番組についてこう表現しています。
 「より生きるための死」(2004年1月7日付け朝日新聞)。討入(死)とは今よりよく生きるためだったのです。「武士として死ぬ」ことによって「家」(土地付きの)や「家名」を守るのです。それが江戸時代です。
 他方、資本主義社会とは「工場などの生産手段を所有する資本家が、利潤獲得を目的に賃金労働者を雇用(契約)しておこなう商品生産(売ることを目的に生産すること)が基軸をなす社会」をいいます。自由競争の自由、個人として採用・応募する上での個人・自由主義がその前提となります。その政治形態は政党政治を基本とする民主主義を特徴としています。
 自由で個人を重視するということは、隣にいる人も自分を大切にしています。私たちは自分自身に責任をもつと同時に、自由で個人である隣の人とも違いを認めて共存することを意味しています。
 そのほか、世界では歴史の過程で様々な政治形態が存在しています。
討入りを今にあてはめると
不公平な裁定に立ち向かう群像
それでも内蔵助さんにはなれない
 老中の喧嘩両成敗という決定を将軍綱吉さんが独裁的に不公平な裁定をしたことで赤穂事件が発生しました。それに対して大石内蔵助さんは当時としては考えられるあらゆる手続きを踏んで、最終的には独裁者を動かして喧嘩両成敗を実現しました。
 現在にあてはめると、将軍綱吉さんにあたるのが独裁者ジャイアンツのオーナーです。気に染まないと「人事異動」だと言って原監督を罷免したり、元気者の入来選手をトレードに出す。それに刃向かうのがタイガース星野監督をあてる説もありますが、たくさんの選手をリストラしたお金で広島の主砲金本選手を獲得したことから、大石内蔵助さんにはあてはまりません。権力者ジャイアンツのオーナーは契約更改に際して代理人制度を否定しましたが、上原投手は代理人(弁護士)を立てて闘いました。選手会長の古田選手は代理人制度について再度オーナー会議での見解を要求しています。しかし法治国家として法を熟知している弁護士という存在があり、権力者に立ち向かうという点では内蔵助さん似ていますが、この話も通用しません。
 「ジャイアンツ愛」で表面的に忍従の道を選んだように見える原監督の今後が注目されます。  
個人(自分)の課題として考えた時
重い重い課題として初めて取り組める
内蔵助さんの時代を超えた偉大さを実感
 しいてあげるならNHKのプロジェクトXで取り上げられたカシオのデジカメ開発メンバーとシャープの液晶開発グループでしょうか。先見の明の無い企業トップの不当な扱いにより、彼らは人事的にも財政的にも困難な状況におかれますが、それをバネして、逆に会社の救世主になっていきました。
 不当解雇や職場の女性差別で人事権を持つ会社(権力者)と闘って勝利した姿ともダブります。最近では住友電工男女差別訴訟和解があります。その内容は「原告の女性社員2人が同期の男性社員と同じ役職に就くことを事実上勝ち取った」というものです。10年間の闘いです。支援者300人余が「人間の鎖」で大坂地裁を囲んだこともあったといいます。大阪高裁は「女性が差別されない社会は世界の共通認識だ」と企業や国に譲歩を迫ったとあります(以上朝日新聞・神戸新聞より)。
 記者(私)も若い時から誰に対しても「是々非々」の姿勢を貫き、色々な面でしんどい局面がありました。今考えて見ると、自分の主義を貫くにはそれなりの理論武装や技術も幼稚で、それを支える職場内外の支持もなく、「反対のための反対」でした。その後行動を支える理論、皆が納得する技術、職場は勿論職場外でのコミュニケーションをはかってのPR活動、具体的な提案、「落としどころを探る」などを身に着けてきました。ともかく自分の主義を貫くことはとても「しんどい」ことです。
 記者(私)個人の問題を解決するのにも大変なエネルギーが消費されました。その体験から開発グループの集団となると計り知れない労苦がいっただろうと推測されます。抽象的な「討入りに参加しますか」という質問でなく、「今直面している問題に、あなた(自分も含めて)はどういうしますか」と問うべきではないでしょうか。これは問う側の課題でもあるし、問われる側の問題でもあり、言いっぱなしで済むものではありません。自分が直面している問題に真正面から対峙し、課題を克服しようとしていている時、真に生きている自分を再確認するのではないでしょうか。
 現実から逃げずに正対する時、自分も傷つきます。とてもとても重い課題です。多くの脱盟で少数派に陥った苦境の中で、赤穂事件を解決した内蔵助さんの時代を超えた偉大さが初めて実感できるのではないでしょうか。
内蔵助さんの手法とは
 色々な状況を想定しての理論武装(相次ぐ脱盟に動揺する同志を束ねる求心力、武士としての討ち入り、忠誠を誓った新撰組局長近藤勇は切腹でなく斬首)、皆が納得する技術(左右に激突する同志を会議や手続きによってコントロールするリーダーとしての力量、「金銀請払帳」に見られる会計的な手腕など)、同志には討入のプロセスなどをその都度説明、幕府には喧嘩両成敗による公平な裁きを要求、江戸庶民の幕府に対する不満を利用して赤穂浪士に味方する世論づくり、内蔵助さんはそうした手順を踏んでいるのです。

参考資料
『詳説日本史』(高等学校日本史教科書、山川出版社)
竹内 誠『元禄人間模様』(角川選書)
『朝日新聞』(2004年1月6日号)
『神戸新聞』(2004年1月6日号)

index home back next