元禄15(1702)年12月14日(第213号)
近松勘六さんがケガ
優しく、本好きが討ち入りへ
凍った雪にすべって泉水へ、あわやの場面も
清水一学さんとの激戦はフィクションか?
近松勘六さん(大石神社蔵) | 勘六さんの署名 | 勘六さんの花押 |
12月14日(東京本社発)
4歳で母と死別、4人の異母弟妹 優しい、本が好きな人が、討入りへ向かう 勘六さんは4才の時に母と死別しました。父が再婚した継母には弟3人と妹1人が生れましたが、その1人が奥田孫太夫さんの養子となって、後に吉良邸に討ち入る貞右衛門さんです。 討入りが決まった後、勘六さんは乳母に対しても「老後の面倒をみてやれない」と言って、お金と衣類を送っています。また異母妹のこともいろいろと頼んでいます。本当に優しい勘六さんです。 |
上の木像は早川朝洋さんの作です。勘六さんは師と仰ぐ山鹿素行さんの『武教小学』を時間を見つけては筆写したといいます。主家断絶後も、この筆者本を愛読している姿を描いたものです。「隠健派の重厚な人柄がよく現わされている姿」と説明にあります。
敵が逃げてくれたので、命拾い 優しい勘六さん、神も見放さず この時の様子を、勘六さんは次の様に話してくれました。 「泉水に落ちたとき、敵が引き返してきたならば、危うい目に遭っていたでしょうに、敵は逃げていったので、幸せな事に私は助かったのです」 |
参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)