元禄15(1702)年12月14日(第214号)
小野寺十内さん
61歳で大活躍
今も昔も、目的を持つシニアは元気
妻の丹さんとは当時珍しいオシドリ夫婦
小野寺十内さん(大石神社蔵) | 十内さんの署名 | 十内さんの花押 |
12月14日(東京本社発)
当時珍しいオシドリ夫婦 ラブレターのやり取り 十内さんは和歌を妻の丹さんと習っています。当時では珍しいオシドリ夫婦でした。二人には子供が生まれなかったので、姉の子幸右衛門さん(兄が大高源五さん)を養子に迎えまています。 内匠頭さんが上野介さんに刃傷に及んだとき、十内さんは京都での後始末をして、赤穂に馳けつけました。この時の心情を十内さんは「今の内匠頭さんには特別の関係もありません(「今の内匠殿に、格別の御なさけにはあづからず候」)が、三代にわたってお仕えしてきた恩に報いたい」と語っています。 1702(元禄15)年7月の円山会議の結果、十内さんは内蔵助さんを江戸に迎えるため、先に江戸に行きました。箱根山を越える時、江戸より京都に帰る知人に遭い、妻丹さんに手紙をことずけています。 「限ありて 帰らんと思ふ 旅にだに なほ九重は 恋しきものを」 |
この木像は辻晋堂さん作です。赤穂城明け渡しの後、京都で好きな和歌の書物を見ている姿です。
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参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)