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元禄15(1702)年12月14日(第220号)

忠臣蔵新聞

再び忠臣蔵ブーム!?(2)
ビートたけしが吉良上野介に

「ビートたけしの!悪役のススメ!!」
11月20日(土)午後7:00ー8:54の予定
メールのやり取りから、物語を大胆推理

吉良上野介さんの木像(吉良町華蔵寺) 上野介さん愛用の茶器(吉良町華蔵寺)
12月14日(東京本社発)
それは、一通のメールから始まった
やり取りを紹介
スタッフの意図はどこに?
 テレビ番組制作会社のスタッフから次のようなメールが入りました。
 「この度私どもの番組で忠臣蔵を扱った企画がございまして、インターネットで調査をしていたところ、このウェブページを拝見するに至りました。
内容に関しまして…いく点かお尋ねしたい物がありまして…」という内容でした。
 その後電話があり、「史料に基づいた吉良上野介を取り上げたい」という話でした。
 最初の質問は以下の通りです。
 「今回テレビ朝日系列の「ビートたけしの大悪党」(未定)という番組のなかで、吉良上野介を取り上げる事になりました。番組の趣旨としましては吉良の一般的にある悪人像は実際にどうであったか?つまリ吉良を違った方向から見てみるといった内容になります。」
 質問は要点のみにします。
 (1)栗崎道有の肖像画は残っているか
 (2)吉良上野介の詩は残っているか
 (3)浅田家文書に「討入り情報が漏洩している」という史料はあるか
 次の質問は以下の通りです。
 (4)吉良上野介が自分の子供に宛てて書いた手紙は残っているか
 (5)佐藤直方の史料で、討入り後切腹しなかったのは、仕官先を得ようとするデモンストレーションだと
   言っているが、実際はどうなのでしょうか
 (6)浅田家文書から「討入り情報が漏洩している」とは読み取れませんでした。別の史料がありますか  
 次の質問は以下の通りです。
 (7)栗崎道有は、吉良の検死をしていなかったのでしょうか
 (8)『栗崎道有日記』には、上野介の首と胴体を縫合したという記事があるのでしょうか
 次のメールは以下の通りです。
 (9)上杉方の記録には、「上州様の傷は二十八ヶ所」とあるそうですが、そんな史料がありますか
 最後のメールは以下の通りです。
 放送日は2004年11月20日(土曜)午後7:00-8:54、番組名は「ビートたけしの!悪役のススメ!!」
というものです。最後にPRのほう宜しくお願いします。というものでした。
スタッフのこだわり
(1)吉良自筆の詩と子供への手紙
(2)討入り情報は漏洩していた?
(3)討入りは再就職運動か?
(4)栗崎道有と吉良上野介
(5)吉良上野介の最後
 (1)吉良自筆の詩と子供への手紙からは、上野介の人柄や子への思いやりが浮んできます。将軍と天皇のパイプ役が、鬼のような形相の人物では務まるはずもありません。吉良町の華蔵寺にある木像をみても上品ですし、茶器などもみても文化的教養の高さがわかります。
 (2)討入り情報は幕府に漏洩していたことは事実です。
 (3)内蔵助が言うように、討入るも必死、引き上げるも必死ですが、討入り後の世論の中には、内蔵助らの再就職運動であったという説もあります。
 (4)幕府の医者栗崎道有は、刃傷事件で上野介の傷の手当てをしました。討ち入り事件では上野介の息子義周の傷の手当てもしています。道有は、上野介と同じ万昌院という寺に葬られています。このことから、当代一の名医と上野介の人間関係が想像されます。
 (5)吉良上野介の最後は、間十次郎が鎗で突き、武林唯七が切って、コトきれたことになっています。文人らしい最後でした。しかし、28ヶ所の傷を採用すると、武士として激しく戦った、英雄的な死の場面が想像されます。
テレビ朝日系列の「ビートたけしの!悪役のススメ!!」
史料中心の吉良上野介の実像に迫る
物語を大胆推理
 タイトルとは違って、上野介は優しく、教養のある人物として描かれる。最後は武士として華々しく、散っていく。
 他方、討入りは、幕府のやらせであり、赤穂浪人の再就職運動である。
 芝居では、敵役が悪ければ悪いほど、主役は我慢すればするほど、聴衆は喜怒哀楽を楽しむ。このようにして、吉良上野介は誕生する。橋田壽賀子流手法(「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」)です。
 こんな、ストーリーになるのではないでしょうか。

参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)

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