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元禄15(1702)年12月14日(第219号)

忠臣蔵新聞

再び忠臣蔵ブーム!?(1)
その秘密を要約(1)

テレビ朝日『忠臣蔵』10月18日より
NHK『最後の忠臣蔵』11月5日より


「ビートたけしの!悪役のススメ!!」
11月20日(土)午後7:00ー8:54

刃傷松の廊下(長安雅山画) 大久保忠鎮が上野介を尋問(角石氏模写)
12月14日(東京本社発)
テレビ朝日『忠臣蔵』
 テレビ朝日は開局45周年を記念として、10月18日から12月13日まで3ケ月間、「思臣蔵」を放映するといいます。正調の「忠臣蔵」にするといいます。大石内蔵助は松平健さんが演じます。それ以外には、北大路欣也、江守徹、津川雅彦、藤田まこと、伊東四朗、野際陽子、村上弘明、橋爪功、池上季実子さんら演技力のある俳優が出ます。
 どうして、テレビ朝日が豪華俳優による「忠臣蔵」に力を入れたのかというと、「時代劇が衰退しているといわれる中…出た結論は『時代劇の灯を消すな。時代劇の面白さは、突き詰めれば忠臣蔵に行きついた』」(岩永恵・編成専任局長)という事らしい。
NHK『最後の忠臣蔵』
 NHKは、11月5日から6週連続で「最後の忠臣蔵」を放送します。原作は池宮彰一郎さんの『四十七人目の浪士』です。寺坂吉右衛門を主役として話が展開します。吉右衛門は上川隆也さんが演じます。
 脚本のジェームス三木さんは時代劇が衰退した理由を次のように述べています。「正義感に満ち、非のうちどころのない人物など、この世にいない。そこにフタをして、相変わらずうそっばちな英雄や善人を描くから、テレビの時代劇は視聴者に見放されてしまった。現代の主役は、我々と等身大の人物でなければならない」と語っています。
 テレビ朝日は「討ち入りが最後の場面」ですが、NHKは「討ち入りが最初の場面」となっています。
テレビ朝日系列の「ビートたけしの!悪役のススメ!!」
史料中心の吉良上野介の実像に迫る
 番組スタッフの方の説明です。
 今回は、吉良上野介を取り上げます。
 番組の趣旨としては、吉良の一般的にある悪人像は実際にどうであったか?
 つまり、吉良を違った方向から見てみるといった内容です。
 史料に基づく上野介を、ビートたけしさんが演じます。新しい忠臣蔵像が誕生するかも知れませんね。
忠臣蔵人気の秘密にせまる
過去の忠臣蔵新聞より要約(1)
ドラマはこうして始まった
 あちこちで、忠臣蔵の講演を依頼されます。私のテーマは、「情報化時代と忠臣蔵ー人気の秘密にせまるー」です。情報化時代については、私の「体験的パソコン論」(←ここをクリック)をご覧下さい。
 ここでは、「忠臣蔵ー人気の秘密にせまるー」を取り上げます。これは、私の「忠臣蔵新聞」(←ここをクリック)
(1)事件そのものは、1701(元禄14)年3月14日、勅使饗応役の浅野内匠頭が、指南役の吉良上野介に、江戸城松の廊下で、「この間の遺恨覚えたるか」と切り付けたことで、始まりました。
(2)事情聴取が不十分だったため、「この間の遺恨」の意味が不明のまま終わりました。
 1.そこで「遺恨」をめぐって、様々なが憶測が生まれました。「賄賂」が少なかったので「いじめた」とか、吉良塩田に赤穂の技術を導入しようとして断られたという「塩田」スパイ説とか、内匠頭は「病弱であった」などです。
 2.しかし、いずれもフィクションの粋をでておらず、現在も「不明」としかいいようがありません。
(3)ドラマはこうして、始まりました。
 1.老中は加害者と被害者から事情を聴取した結果、最初は内匠頭の一方的な犯罪だとし、上野介のケガを公傷と認め、幕府の医者に治療させました(「先刻ハ公儀より療治被仰付」)。
 2.老中は、再度協議した結果、刃傷事件を「喧嘩両成敗」と最初の決定を変更し、公傷を私傷としました(「只今ハ療治被仰付之沙汰ニハ不及」)。
 3.ところが、将軍徳川綱吉は、重要な儀式の場を血で汚したと激怒して、老中の決定を無視し、不公平な採決をしました。つまり、内匠頭は切腹で、上野介はほめられました(「場所柄も不弁自分宿意ヲ以及刃傷候段不届ニ付其身は切腹被仰付、上野介儀御場所ヲ弁不致手向神妙之至・・・随分大切ニ保養可致候」)。これが、ドラマの始まりです。
(4)もう一つ見逃せないことがあります。吉良家と浅野家の力は雲泥の差がありました。
 1.吉良家の先祖には、鎌倉将軍源頼朝や室町将軍足利尊氏がいます。また、上野介の妻は上杉謙信の家から迎え、2人の間に生まれた子供は、上杉家の殿様です。上杉家の殿様は、御三家の紀伊家から妻を迎えています。上野介は、京都の天皇家と江戸の将軍家を結ぶ重要な役割を果たしていました。つまり、名実共に華麗な一族な一族を果たしていました。
 2.他方、浅野家のルーツは、関ヶ原の時に、豊臣家を裏切って徳川方に寝返って出世した、有力外様大名の分家です。
 3.不公平な採決に、庶民が判官びいきしたことがあります。

参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)
『朝日新聞』(2004年10月9日付)

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