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元禄15(1702)年12月14日(第226号)

忠臣蔵新聞

矢田五郎右衛門さん(28歳)
刀を折って戦う

折れる刀所持は、武士の恥?
お預け細川家で弁明

矢田五郎右衛門さん(大石神社蔵) 五郎右衛門さんの署名
木像は、江戸からの凶報に登城せんとする姿を描いています。作者は伊藤芳雄氏です。
12月14日(東京本社発)
矢田五郎右衛門さんは、馬廻り150石
 矢田五郎右衛門さんは、2代にわたる浅野家の家臣で、赤穂で生れした。馬廻150石として、刃傷事件の時は江戸藩邸に詰めていました。
 矢田五郎右衛門さんは、江戸では、芝浜松町の檜物屋惣兵衛さんの借宅に赤埴源蔵さんらと同居し、塙武助と変名して、吉良上野介さんの動静を探ていました。
 矢田五郎右衛門さんは、討入りでは表門隊に属して、武林唯七さん、奥田孫太夫さんら9人と、吉良上野介さんの屋敷に乱入しました。
矢田五郎右衛門さん、「初太刀」で相手を倒す、「二の太刀」で刀を折る
 矢田五郎右衛門さんは、3人で組んで、広間から書院へ向かっていると、廊下の隅に誰かが隠れていました。五郎右衛門さんは、2人の後を進んでいると、廊下の隅に隠れていた吉良方の侍が後ろより切り懸りました。
 五郎右衛門さんは、着り込みをつけていましたので、負傷もしませんでした。
 五郎右衛門さんは、そのまま振り返って、切りつけると、初太刀で吉良方の侍は倒れました。しかし、この初太刀の時、切先より5〜6寸の下のところで折れてしまいました。
 それは、倒れた吉良方の侍に下に、火鉢があり、それと知らずに「二の太刀」を火鉢に打つつけた時に、五郎右衛門の刀は、折れてしまいました。
 そこで、吉良方の侍の刀を奪って、差し替えました。
史料
 「拙者通り申し候後より切り懸り候へ共、着込仕り居り候故、摺手も負い申さず候、其の儘振り帰り切付け申候へば、初太刀にて倒れ、この太刀を打ち候とき切先より五六寸下にて折れ申し候、右の者の下に火鉢これ有り候処に倒れ申候、それに打付け候て折れたる物と存じ候それ故相手の刀を取り候て指し替え申し候」(『矢田五郎右衛門談』)
矢田五郎右衛門さん、細川家の世話役である堀内伝右衛門さんに弁明
「討入り持参の刀は新刀」
 矢田五郎右衛門さんは、折れるような刀を討入りに持参したことと、お預けしている刀が、吉良方の侍の刀であることを気にしていました。そこで、細川家で、世話役の堀内伝右衛門さんに、その経緯を話しています。
 「私も刀に対する目利きは不調法です。この度の討入りに際して私が、差していた刀は新刀で、確かに瑕でもあったのでしょうか、切っ先より5〜6寸下のところで折れてしましました。…そこで、相手の刀を奪って差し替えました」
史料
 「拙者儀も目利不調法ニ候、此度拙者差申候刀ハ新身にて候、定而疵有之たるや切先キより五六寸下ニ而折申候…夫故相手の刀を取候而さし替申候」

参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)

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