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元禄15(1702)年12月14日(第228号)

忠臣蔵新聞

大高源五さん(32歳)
内蔵助さんの貴重なブレーン

長刀のような大太刀、派手な衣装
文武に目立ちたがり屋

大高源五さん(大石神社蔵) 源五さんの討ち入り姿(左)と花押(中)と署名(右)
木像は、短冊矢立に、俳句の想を練っている姿です。作者は柳沼曹運氏です。
12月14日(東京本社発)
大高源五さんは、膳番元方・腰物方・金奉行で二十石五人扶持
 主君の浅野内匠頭さんが、殿中で吉良上野介さんに対して、刃傷に及んだ時、大高源五さんは、主君のお供をして江戸に出ていました。その後、源五さんは、赤穂へ帰りました。
 開城後、源五さんは、大石内蔵助さんの命を受けて、堀部安兵衛らの過激派を抑えるために、江戸に出ました。
 丸山会議後、源五さんと貝賀弥左衛門さんは、内蔵助さんの命を受け、討ち入りの神文を返すという大役を果たしました。
 いよいよ討ち入りが決定すると、源五さんは、母の貞立尼に対して、遺言状を送っています。最近、私の家に、その遺言状を持っている方が、真贋の鑑定にこられ、その応対に困るほど、この遺言状は有名です。
 源五さんは、俳諧をたしなみ、談林派の水間沽徳に師事し、俳号を子葉と称しています。
 内蔵助さんを助ける、冷静な源五さんのイメージです。
大高源五さん、14日吉良茶会を知る
 大石内蔵助さんにとって、一番重要なのは、吉良上野介さんの在宅情報です。あらゆるツテを求めて入手に努めました。源五さんは、上方の脇屋新兵衛という町人に扮して、上野介さんの茶の湯の先生である山田宗偏さんに弟子入りしました。
 源五さんは、宗偏先生から「12月6日、吉良邸で茶会がある」ということを知らされました。そこで、12月6日に向けて、討ち入りの準備をしていました。
 6日、将軍綱吉さんが側用人の柳沢吉保さんの別荘に行く日となったので、6日の吉良邸での茶会は、延期になりました。
 次に、「14日に年忘れの茶会がある」情報がもたらされました。
 14日朝、源五さんは、宗偏先生の所へ、正月用の自在竹を持って出かけました。そこで、源五さんは、「14日の年忘れ茶会」を確認しました。
 大石三平さんからも、羽倉斎(荷田春満)さんルートの情報が入り、14日討ち入りが決定しました。
 討入りの時は、表門隊に属し、一番乗りし、大太刀で活躍しました。源五さんは、文武に秀でた人物といえます。
大高源五さんと俳句、その虚実
(1)源五さんは、吉良上野介さんの首をあげ、上杉方の援軍を待っていた時に、「日の恩や 忽ち砕く 厚氷」という句を作りました。現在、両国橋の北の小さな公園に句碑があります。
(2)源五さんは、泉岳寺へ引揚げた時、修行僧白明にせがまれて、「山をさく 力もおれて 松の雪」という句を作りました。
(3)源五さんは、伊予松山城主の松平定直邸で、辞世の句として、「梅で呑む 茶屋もあるべし 死出の山」という句を作りました。
(4)12月13日、煤竹売り姿の源五さんは、両国橋の上で俳友の宝井其角さんとばったり出会いました。この時、其角さんが「年の瀬や 水の流れと 人の身は」と読みかけると、源五さんは「あしたまたるる その宝船」と読み返しました。これを聞いた其角さんは、討ち入りを察知したという名シーンがあります。14日の朝、「14日の年忘れ茶会」を確認していますから、残念ながら、これは、ほら吹き其角さんのフィクションといえます。
(5)赤穂浪士が勢揃いした両国のうどん屋に集合しました。そこの主人の久兵衛さんが『何のその』の冠付けに苦労しているのをみて、源五さんは「何のその 岩をも通す 桑の弓」という句を作ったという名シーンがあります。三々五々、時間を費やして堀部安兵衛宅などの集合していますから、これも残念ながらフィクションといえます。
(6)14日の夜、其角さんは、吉良上野介さんちのお隣の本多孫太郎さん宅の句会に出席し、そのまま寝入ってしまいました。討ち入の挨拶に来た源五さんと顔を合せた其角さんが「我がものと 思えば軽し 笠の雪」と読みかけると、源五さんは「日の恩や 忽ち砕く 厚氷」と読み返しました。源五さんが、本多邸に討ち入りの挨拶に行った事実はありません。これも残念ながら、ほら吹き其角さんのフィクションといえます。
大高源五さん、長刀のような大太刀をもち、派手な衣装で目立っていた
 大高源五さんは、長刀のような大太刀をもち、下には紅の小袖を着て、上には黒の広袖を着ていました。そのため見た目は際立って潔く、格好よく見えました。格好だけでなく、吉良方の敵も討ち取りました。
史料
「源五は大太刀とて長刀のやうなるを持ち 下には紅の両面の小袖を着し 上に黒両面の広袖の小袖を着申し候故 いで立ちわきて潔よく見え申し候 これもとうの敵を打ち取り申し候」(『小野寺書状』)。

参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)

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