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元禄15(1702)年12月14日(第232号)

忠臣蔵新聞

間瀬孫九郎さん(22歳)
ファザコン?

いつも父と行動する孫九郎さん
かっこ悪い戦闘場面

間瀬孫九郎さん(大石神社蔵) 間瀬さんの討ち入り姿(左)と署名(中央)と花押(右)
木像は、凶報を聞き、決意をあらわに登城しようとする姿です。作者は一色五郎氏です。
12月14日(東京本社発)
間瀬孫九郎さんは、部屋住です
 間瀬孫九郎さんは、間瀬久太夫さんの長男で、部屋住みでした。
 部屋住みとは、長男でまだ家を継がない者、又は、次男以下で家を継ぐことができない者をいいます。
 ヤクザの世界では、ヤクザ(博徒)になりたての若者が、ヤクザ(博徒)の礼儀作法を勉強するために、に親分の家や組事務所で修行する事をいうそうです。
 つまり部屋住みとは、修行中の者という意味です。孫九郎さんは、長男で、21歳で、まだ家督を継いでいません。何か理由があるのでしょうか。
 父の久太夫さんは、200石の目付で、討ち入りの時は62歳です。長男に家督を継いでも、十分な年齢です。
 義盟に父子で加わり、赤穂城城明渡しの後、6月には、父子で加東郡に移住しています。討ち入りを決定した円山会議にも父子で参加し、江戸下向も父子だし、江戸でも父子で同居しています。
 こう見てくると、孫九郎さんは、マザコンならぬファザコンだったのでしょうか。そうさせたのが、父久太夫さんだったとしても、20歳を過ぎると、父の責任ではなく、子供の責任といえます。
間瀬孫九郎さんファザコン?
 裏門隊に属していた若い間瀬孫九郎さんは、吉良上野介が雇った長屋の屈強な浪人を相手にすることになります。その孫九郎さんに無茶苦茶切りかかり者がありました。孫九郎さんは、持っていた槍を取り直して、相手を突くと、狙い通りに脇の下を突くことができました。
 しかし、相手も剛の者で、孫九郎さんの鎗を手繰り寄せようと、千段巻(切り身の部分と木の棒部分を繋いでグルグル巻きにしている部分)を何回もたたくので、孫九郎が槍を手離すと、その反動で、相手は倒れて死んでしまいました。
 格好いい場面になると、負けずと槍を手繰り寄せ、仕留めるところでしょう。しかし、孫九郎さんは、力負けして、槍を投げ出しています。やはりファザコンなんでしょうか。
 *注 千段巻を専門用語で見ると、下記のようになります。
(1)槍や刀の柄の全体を籐や麻でぎっしりと巻き、漆などを塗ったものをいいます。
(2)槍の柄の先の中子が納まっている部分をいいます。
史料
「長屋防ぎ居りける間瀬孫九郎を目がけ、無二無三に切て懸る者あり、持ちたる鎗を取り直し突きければ思う目当脇の下を突く、彼の男剛の者にて鎗をたぐらんと千段巻を二打ち三打ち打つ所を、鎗を投げ出しければ則倒れて死す」(赤城士話)

参考資料
『忠臣蔵第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)

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