home back next

平成19(2007)年3月18日臨時増刊(第250号)

忠臣蔵新聞

赤穂城と忠臣蔵(1)

赤穂春咲ウオーク
旭堂南海さんの前座に私も出演
主催:ラジオ関西・赤穂市など

義士太鼓の皆さん 青空講演する私
講談師の旭堂南海さん ラジオ関西の田中さなえさん・池田奈月さん
2007年3月18日(赤穂発-臨時増刊)
「赤穂春咲ウオーク」の出演者紹介
 2007年3月18日(日)、忠臣蔵のふるさと赤穂で、「赤穂春咲ウオーク」(主催:ラジオ関西・赤穂市・赤穂観光協会)は、700人が参加して行われました。その後、イベントが海浜公園で行われました。
 ラジオ関西のハーバーカフェで有名なパーソナリティの田中さなえさん・池田奈月さんの軽妙なトークがありました。
 その後、地元の播州赤穂義士太鼓保存会の皆さんが、力強く伝統に裏付けられた太鼓の実演がありました。
 その次に、私が「赤穂と忠臣蔵」と題して話しをしました。
 最後に旭堂南海さんの赤穂歴史講談で締めくくりました。
SNS(ソーシャル・ネット・サービス)のよさと
ホームページのよさ
私のホームグランドはやはり月1回のホームページ
 私の話は、大まかにして7つのテーマに分けています。発表原稿を元に、全国版のSNS(ソーシャル・ネット・サービス)と地域版のSNS(ソーシャル・ネット・サービス)に、連続して7日間、アップしました。しかし、量より質と申します。1ヶ月の間、推敲を重ねるホームページと違って、軽さを感じました。
 そこで、このホームページは、7回分を7ヶ月に分けて報告させて頂きます。
(1)アンチ忠臣蔵から忠臣蔵ファンへ
 私は、赤穂で生まれ、赤穂で育ちました。当時の大人は、浅野家は常陸(茨城県)笠間から来たよそ者であるとか、赤穂城が断絶した時は、赤穂の人は餅をついて喜んだとか、集団リンチ事件だったなどという意見が多数派で、私も忠臣蔵には何となく抵抗を感じていました。つまりアンチ忠臣蔵でした。

 ところが、大学に入って1冊の本に出会いました。著者は、松島栄一氏(東大史料編纂所を経て当時は早稲田大学教授)で、本の名前は『忠臣蔵』(岩波新書)でした。←詳しい説明はここをクリックして下さい。

 そこには、「忠臣蔵は、史料や講談も含め日本人の思想史である」と書かれていました。

 その後、必死で、忠臣蔵の史料やその他の書物を読みあさりました。そして、アンチを克服して忠臣蔵ファンとなりました。

 しかし、今も、地元赤穂では、「忠臣蔵のホームページをアップ出来るのは、赤穂に住んでいないからだ」と言われたことがあります(私の忠臣蔵新聞を読んで)。
 赤穂でたびたび「忠臣蔵」に関して講演をしました。講演後、「赤穂には忠臣蔵だけではないですよ」と抗議されたこともあります。
 こうした人を含め、忠臣蔵の魅力を発掘し、伝えるのが私の使命だと思っています。

参考資料
『忠臣蔵第一巻・第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)
『赤穂義士論』(赤穂市)

index home back next