ごあいさつ | ||
第三回は松島栄一著『忠臣蔵』(岩波新書) |
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私が大学に入った頃はいわゆる大学紛争が全国的に吹き荒れていました。文系学生 の宿命である卒論(卒業論文)についても、先輩は「ナンセンス」と言ってデモに明け暮 れていました。色んなことでも価値観がひっくり返る時代でした。親から仕送りを受けて いる学生の主張を私は革命劇だと思っていましたが、地方出身者には反論する理論武 装もしていませんでした。 当然私の忠臣蔵観も集団でリンチする野蛮劇と一蹴されてしまいました。そんな時に 本屋さんで手にしたのが松島栄一著『忠臣蔵』で、学生には購入しやすい新書版でし た。氏は東京大学史料編纂所に勤められていた関係で、忠臣蔵関係の史料と接する 機会があり、この本を「事件と『忠臣蔵』などの評価とは、分けて考察されねばならない。 ・・・事件は、事件そのものとして追求され、分析されねばないらいであろう」と位置づけ、 しかも「正しい・良質の史料の上にたって」(まえがきより)出版された。 氏の史料考証を厳密にし、仮託やフィクションを排して、地を這うような地道な手法に 小さい頃から慣れ親しんだテーマだけに、新鮮な感動を覚えました。 空理空論、論のための論がはびこっている時代にあって、この地道な研究こそが反論 のための理論武装なんだと確信しました。 |
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やはり史料に立脚した著作物はすごい 臣蔵・その成立」(どうして浄瑠璃や歌舞伎の世界に取り上げられたのか)、第三章は 「事件と『忠臣蔵』はどのような評価がおこなわれたのか」で構成されている。 私は第一章が特に印象に残っている。刃傷事件の背景として吉良上野介と浅野長矩 との打ち合わせが10日ほどしかなかったと新説を披露している(6P)。 江戸在住の強硬派である高田郡兵衛の脱盟については、たくさんの史料を提示して いる(79P)。これにはびっくりしたことを今も覚えている。 幕府は赤穂浪士の行動を把握しているのに、黙認していることを官僚的性格の矛盾 (104P)と明確に分析している。また、「浅野内匠頭家来口上書」についても、氏は「わ が国における忠孝の観念を考える上でも、また、いわゆる武士道の思想を考える上で も、この父の讐を君父の讐としたことは、興味ある問題である」と既に赤穂事件を日本史 上重要な位置づけをしている。 また山田宗匠・羽倉斎(のちの荷田春満)・細井広沢をはじめ有名無名の人が赤穂浪 士の行動を支持しており、それが江戸の大きな流れとなっている。脱盟者はただの1人 も情報を売った者がいないという指摘(111P〜)も、この書で初めて教えられた。 討入については、老中も将軍も感激したということである。また「伊藤東涯日記」には 「前代未聞之働、忠肝義胆と謂うべきか」と記している。 この著作を通じて感じたことは、素材(史料)のもつ意義、300年も庶民に支持された 背景は既に300年前にその素地があったこと、赤穂事件は歴史上も重要な価値を含ん でいるということである。 大河ドラマ「元禄繚乱」の放映にあわせて、たくさんの忠臣蔵本が出版されたが、憶 測・伝聞によるものが多く、この『忠臣蔵』を越える本は少なかったと感じている。 |
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アンコール復刊(1998年)の理由? さんに買い求めに行くと、この本は絶版になっているという。その理由を聞くと、「史料が 不十分なまま書いたので、本を出し続けることが恥ずかしい」という松島先生の学者とし ての立場を理解して、出版社が絶版にしたという説明だった。しかしその真意はわから ない。どなたかご教示ください。 たしかに、今(2002年)の段階でこの本を読んでとき、刃傷後の取調べ過程が不十分 だし、内匠頭の遺言や片岡源五衛門の涙の別れを事実と断定しているし、浅野本家の 後ろだてにより大石内蔵助らは自由に行動できたと事実誤認しているし、寺坂吉右衛 門についても複数ある議論を断定的に紹介しているなど問題点も多々ある。 しかし32年前の時点で考えてみると、氏の学者としての姿勢は失われることはない。 むしろ色あせない、新鮮ささえ感じさせる。やっと復刊なった『忠臣蔵』を手にとって、分 かれていた恋人に出会った気持ちになった私である。 |
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松島氏は「忠臣蔵は、史料や講談も含め日本人の思想史である」とも主張 |