平成20(2008)年2月14日(第265号)

忠臣蔵新聞

ダイジェスト忠臣蔵(第5巻)

事件の背景(4)
*衣装偽指示説も伝聞

他の大名と衣装が異なる内匠頭さん(TV映画より)
 元禄15(1702)年12月15日(東京発)
尋問不足により遺恨を究明できす
その結果、さまざまな伝聞・憶測の流布

色々なイジメ伝説も伝聞と推測
 塩田技術を教えなかったとか、賄賂が少なかったので、いろいろなイジメが行われたという。しかし、これも全て伝聞と推測です

衣装偽指示説も伝聞と推測
(4)吉良上野介は、浅野内匠頭に対して、「当日のは衣装に長上下である」と指図しました。しかし、今までのことから、内匠頭は烏帽子素袍も用意していて、大事にいたらなかったという話があります。
*解説1:3月14日の勅答日の服装は長袴で上下同色、大紋(きな家入り)、風折烏帽子、下着には熨斗目(練り糸、緯を生糸で織った小袖)と決まっていました(『徳川制度史料』)。
*解説2:毎年、浅野内匠頭は、毎年、3月14日の勅答の儀には参加しています。また、17歳の時(1683年)に勅使饗応役の任を果たしています。内匠頭は、5年前(1696年)に饗応役を勤めた妻あぐりの実家(浅野長澄)からも記録を借りて、前例を調べています。以上から見て、こういう話は有り得ません。
 イジメの本当の原因はわかりません。イジメについても、全て伝聞と憶測です。

参考資料
『忠臣蔵第一巻・第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)

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