平成20(2008)年2月14日(第266号)

忠臣蔵新聞

ダイジェスト忠臣蔵(第6巻)

事件の背景(5)
*伝奏屋敷の衝立の墨絵も伝聞

吉良さんから「墨絵の衝立」を罵倒される内匠頭さん(TV映画より)
 元禄15(1702)年12月15日(東京発)
尋問不足により遺恨を究明できす
その結果、さまざまな伝聞・憶測の流布

色々なイジメ伝説も伝聞と推測
 塩田技術を教えなかったとか、賄賂が少なかったので、いろいろなイジメが行われたという。しかし、これも全て伝聞と推測です

伝奏屋敷の衝立の墨絵も伝聞と推測
(5)浅野内匠頭は、老中から「諸事華美に流されないように」という老中から言われていたので、伝奏屋敷の衝立を狩野元信の竜虎の墨絵にしていました。
 吉良上野介が伝奏屋敷を検分した時、この墨絵が目につき、「勅使の御座敷に墨絵の屏風とは礼を欠く」と指摘して、衝立を激しく引き倒す場面があります。
*解説:これも、伝奏屋敷から引き取った記録には、「金六枚屏風 一隻半」とあって、墨絵はありません(『戸田家記録』)。ました、諸事華美を嫌った内匠頭と、狩野元信の超豪華な衝立を使うということとの間には矛盾が生じます。これも有り得ない話です。
 イジメの本当の原因はわかりません。イジメについても、全て伝聞と憶測です。

参考資料
『忠臣蔵第一巻・第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)

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