平成20(2008)年2月14日(第267号)

忠臣蔵新聞

ダイジェスト忠臣蔵(第7巻)

事件の背景(6)
*伝奏屋敷での精進料理も伝聞

吉良さんから「精進料理」を罵倒される(TV映画より)
 元禄15(1702)年12月15日(東京発)
尋問不足により遺恨を究明できす
その結果、さまざまな伝聞・憶測の流布

色々なイジメ伝説も伝聞と推測
 塩田技術を教えなかったとか、賄賂が少なかったので、いろいろなイジメが行われたという。しかし、これも全て伝聞と推測です

伝奏屋敷での精進料理も伝聞と推測
(6)3月11日、吉良上野介の使いが「3月11日は、勅使の御精進日になっているので、魚鳥を用いぬように」と伝言を伝えました。浅野内匠頭は、山(鳥)海(魚)の材料を用意していましたが、急いで、材料を買い揃え、精進料理を作りました。同時に、念のために、伊達家に聞くと、魚鳥の料理を準備しているという。そこで、浅野家では、両方の用意をして事なきを得たという話があります。
*解説:浅野内匠頭は、一度経験した記録があり、5年前(1696年)に饗応役を勤めた妻あぐりの実家(浅野長澄)からも記録を借りて、前例を調べています。前例と秩序が基本の江戸時代では有り得ない話です。
 イジメの本当の原因はわかりません。イジメについても、全て伝聞と憶測です。

参考資料
『忠臣蔵第一巻・第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)

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