平成20(2008)年2月14日(第268号)
ダイジェスト忠臣蔵(第8巻)
ドラマの開始(1)
幕府の決定は、相対的な手落ち
(喧嘩両成敗)
評議する幕府の要人(模写:角石氏) |
元禄15(1702)年12月15日(東京発) |
吉良上野介を治療した栗崎道有の証言 「幕府の決定は、相対的な手落ち(喧嘩両成敗)だった」 |
吉良上野介を治療する栗崎道有(模写:角石氏) |
(1)幕府の侍医である栗崎道有は、幕府より呼び出されて、吉良上野介の治療を命じられました。 (2)しばらくして、幕府は、栗崎道有に、「幕府は治療から手を引くが、若し、吉良家が望めば、吉良家の費用で、続けて治療をしてもいい」と伝えました。 *解説:東京大学史料編纂官だった渡辺世祐氏は、『正史赤穂義士』で次のような指摘をしています。 「幕府では…刃傷の場合一方が乱心であった時には、負傷したものの治療は幕府が責任を持たなければならぬ。また乱心でなく、両方意趣があって刃傷に及んだ場合には相対的の手落であるから、負傷者は自分勝手にその手当をすべきであるとの昔からの定がある」 この規定によれば、幕府は治療から手を引いている訳だから、この刃傷事件を「乱心でなく相対的な手落ち」と裁定していることが分ります。 |
史料 |
(史料1)「先刻ハ公儀より療治被仰付」 (史料2)「只今ハ療治被仰付之沙汰ニハ不及」 |
参考資料
『忠臣蔵第一巻・第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)