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平成20(2008)年3月14日(第275号)

忠臣蔵新聞

ダイジェスト忠臣蔵(第15巻)

大石内蔵助が「再興」を三度嘆願
幕府目付が「再興を具申する」と公約

大石内蔵助が幕府目付に三度嘆願
 平成20(2008)年3月14日(東京発)
大石内蔵助の幕府目付への嘆願書
(1)上野介が死んだので、内匠頭は切腹と思っていた
(2)しかし、上野介が無事で、浅野家臣は嘆いている
(3)上野介処分のお願いはなく、家臣が納得する「筋」立を
(4)来穂されてからでは、城に受け取りに支障が出よう
 史料(1)の口語訳です。
 「相手の上野介様がお亡くなりになったので、内匠頭が切腹を仰せ付けられたと思っていたところ、次いで来たお沙汰(さばき)を見た所、上野介様がお亡くなりになっていないということがわかりました。
 浅野家の家臣どもは、無骨(無作法)な者でもで、一筋に主人一人を考え、幕府の法式(きまり)を知りません。相手方の上野介様が恙ない(無事である)ということを知り、その上で城地離散することを嘆いております。
 上野介様へお仕置(処分)をお願いしているのではありません。
 ご両所様お二人の働きで、家中の者が納得ゆくように「筋」をお立て下さればありがたく思います。
 赤穂に来られてから、書状を差し出しては、城のお受け取りに支障がおこると思いましたので…」

*解説1:刃傷事件後の3月29日、大石内蔵助は、幕府の目付が赤穂に来る前に、目付に渡すべく手紙を書いています。一種脅迫めいた「凄さ」があります。
(1)吉良上野介が死んだので、主君の浅野内匠頭が切腹させられたと思っていた。
(2)しかし、吉良上野介が無事だと知り、浅野家臣は嘆いている。
(3)吉良上野介の処分をお願いしているのではなく、無骨な家臣が納得する「筋」を立てて欲しい。
(4)来穂されてからでは、城に受け取りに支障が出よう。
 つまり、内蔵助は、幕府の判決書の「宿意」を知っており、喧嘩両成敗を要求していることが分ります。

史料(1)
 相手上野介様御卒去之上内匠切腹被 仰付儀と奉存罷有候処、追而御沙汰承候処上野介様御卒去無之段承知仕候、家中之侍共は無骨之者共一筋ニ主人壱人を存知御法式之儀不存相手方無恙段承之城地離散仕候儀を歎申候、上野介様へ御仕置奉願と申儀ニ而は無御座候、御両所様之以御働家中納得可仕筋御立被下候は難有可奉存候、当表御上着之上言上仕候而は城御請取被成候滞ニも罷成候処(「赤穂城引渡御用状」)


大石内蔵助は幕府の代官・目付に浅野家再興を三度嘆願
幕府の代官・目付満座の中で、将軍に伝えると回答
満座の中の回答は公約である
赤穂城本丸模型(赤穂市立歴史博物館)
 史料(2)の口語訳です。
 「”主君内匠頭が、この度、不調法をして法に従って処分されたことについては、家臣一同恐縮しております。
 しかしながら、大学の安否(浅野家再興)について赤穂浅野家家臣の者どもは、今なお落ち着かない心情であります”。
 その点、申し上げました所、兎角の返事はありませんでした」
 「そこで、又、内蔵助は、重ねて時節を計り、”先刻も申し上げました通り、今なお、家中の者どもは安心しておりません。この点をお聞き届け下さい”と申し上げました。すると、お代官にて来られていた石原新左衛門殿がその意見をお取り上げになり、”内蔵助の存念(考え)や家中の心情を考えると余儀無い(やむをえない)と思う”とご挨拶がありました。その時、両目付が申されるには”委細、聞し召し(お聞きになり)届けられ、お上に言上いたしましょう”と仰せ聞かされたそうです。
 その結果、19日、龍野藩主脇坂淡路守と足守藩主木下肥後守へ、お城を引き渡しました」

*解説2:赤穂城を引き渡す前日の4月18日、大石内蔵助は、三度も「赤穂浅野家の再興」を直訴しました。それに根負けしたのか、熱意に打たれたのか、代官や目付が返事をしてしまいました。
(1)幕府代官は、「内蔵助や家中の心情はわかる」と答えました。
(2)幕府目付は「委細聞いた、お上に言上しよう」と答えました。
 大石内蔵助は、個人対個人で直訴したのではありません。満座の中で直訴しました。それに対して、代官や目付が回答しました。満座の中での回答は、公約です。公約を引き出した内蔵助は、お城を引き渡しました。
 その結果、正式な引渡し式は、4月19日となりました。
史料(2)
一 内匠頭此度不調法仕候ニ付テハ法式ノ通被仰付候段家中ノ者共一同奉畏候
 乍然大学安否ノ処家中ノ者共今以落着不仕心底ニ差含罷在候段申上候処、
 兎角ノ御挨拶不被仰候
 故又重テ時節ヲ相計先刻モ申上候通、今以家中ノ者共安心不仕候、此段被聞召届被下候様申上候処、御代官ニテ御越被成候石原新左衛門殿御取合被仰候ハ、内蔵助存念家中ノ心底無余儀存候由御挨拶ノ節両御目付申被仰候ハ、委細被聞召届候、可及言上旨被仰聞候由(略)
一 同十九日卯下刻城脇坂淡路守(安照)殿、木下肥後守(■定)殿へ引渡ス(「堀部武庸筆記 上」)

参考資料
『忠臣蔵第一巻・第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)

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