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平成20(2008)年3月14日(第278号)

忠臣蔵新聞

ダイジェスト忠臣蔵(第18巻)

江戸の不満(1)
将軍の権威の高揚政策
(1)朝廷崇拝・儀式の重視
(2)儀式指南番─吉良上野介ら抜擢

高家筆頭の吉良上野介(吉良町華蔵寺蔵)
 元禄15(1702)年12月15日(東京発)
将軍綱吉の朝廷政策
(1)礼儀による秩序維持・朝廷儀式の復興
(2)大嘗祭・賀茂競馬・葵祭の復活
(3)高家筆頭としての吉良上野介の登場
 なぜ、吉良上野介は、忠臣蔵の世界に登場してきたのでしょうか。
 将軍綱吉は、礼儀による秩序維持のうえから、これまでの天皇・朝廷政策を改めて、朝廷儀式のいくつかを復興させたり、禁裏御料も増やしました。
 貞享4(1687)年、将軍綱吉の援助で220年ぶりに大嘗祭が復活しました。
 元禄7(1694)年、将軍綱吉の援助で192年ぶりに加茂葵祭・賀茂競馬が再興されました。
 また、勅使の幕府下向の儀式もより重視されました。ここに高家筆頭の吉良上野介の登場です。大名や旗本は、京都風の儀式・典礼を強要され、武士としての不満を抱いていました。
賀茂競馬(5月5日) 加茂葵祭(5月15日)


高家とは、室町時代の名家で、幕府の儀式・典礼事に従事
吉良家は、華麗なる一族ゆえに高家の筆頭に
将軍・側用人・高家筆頭による枢軸政治
徳川家 家康 秀忠 家光 綱吉 鶴姫
頼宣 光貞 綱教
吉憲
春千代
上杉家 謙信 景勝 定勝 綱勝 綱 憲
政子 富子
‖━ @女
北条時政 三之助
義氏 長氏 義定 義弥 義冬 義央 A女
足利義康 泰氏 尊氏 ━━━ 義周
B女
@女(島津綱貴室)
A女(津軽信房室)
B女(酒井忠平室)
吉良家の華麗なる一族
 高家とは、室町時代の名家で、江戸時代は幕府の儀式・典礼の仕事に従事する一族です。
 吉良家は、上の系図を見ると、ルーツは清和天皇です。そこから将軍源頼朝が誕生しています。
 足利氏の祖である足利義康から将軍足利尊氏が誕生しています。その一族が吉良氏なのです。
 徳川家康は、武家政治に貴族的儀礼を導入するために、足利将軍家の一族であった吉良氏を抜擢しました。
 元禄時代には、将軍綱吉は、家康の政治を一層推し進め、文治政治を主導しました。その結果、将軍・側用人・高家筆頭による枢軸政治が行われていたのです。

参考資料
『忠臣蔵第一巻・第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)

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