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平成21(2009)年2月14日(第291号)

忠臣蔵新聞

ダイジェスト忠臣蔵(31)

人気の最大要素は、当時から庶民が支持
→だから豊富な一級史料の存在
→だから色々な解読→新しい解釈

 元禄15(1702)年12月15日(東京発)
生類憐みの令━独裁政治の恐怖
水戸黄門ですら意見できず
廃止は綱吉死後の10日目
↑クリック(拡大写真にリンク)
(挿絵:寺田幸さん
(1)人の命より犬・蚊を大切にする生類憐みの令に不満を持つ庶民

将軍綱吉の朝廷政策
(1)礼儀による秩序維持・朝廷儀式の復興
(2)大嘗祭・賀茂競馬・葵祭の復活
(3)高家筆頭としての吉良上野介の登場
将軍に平伏する諸大名
(2)厳しい儀式に不満を持つ諸大名

貨幣改鋳にからくり
(1)新井白石「其の半ばを奪ふべきための術」
(2)庶民は、「悪化は良貨を駆逐する」を実践
(3)幕府は、「極印を吹き直す」と詐術的命令
元禄小判 慶長小判
小判1両中の金成分比
量目(匁) 純分(匁) 百分比(%)
慶長小判  4.76  4.01 84.29
元禄小判  4.76  2.73 57.37
*貨幣改鋳による幕府の儲けは500万両(年収76万両)
(3)幕府の設けた分、インフレで大損害して不満を持つ庶民

将軍徳川綱吉の恐怖政治
大名や旗本は、綱吉の改易に恐れおののいていた
原因別改易大名数と没収高(家康〜家光時代)
軍事的理由 関ヶ原の戦い 改易 88家 416万石
減封 5家 216万石
大坂の役 改易 2家 67万石
末期養子の禁など 改易 63家 413万石
武家諸法度違反など 改易 61家 594万石
改易外様 改易親藩・譜代 没収石高
家康 13家 28家 360万石
秀忠 15家 23家 360万石
家光 19家 28家 360万石
家綱 13家 16家 75万石
綱吉 28家 17家 175万石
改易の旗本100家余
(4)恐怖政治(改易)に不満を持つ大名や旗本

大名・旗本・庶民の幕府への不満
誰かがスカッとするような出来事を期待
(1)生類憐みの令で庶民は幕府に不満を持っていました。
(2)厳しい儀式に諸大名・旗本は幕府に不満を持っていました。
(3)貨幣改鋳で大損害をした庶民は幕府に不満を持っていました。
(4)厳しい改易政策に諸大名・旗本は幕府に不満を持っていました。
 その結果、諸大名・旗本から庶民までが、身近な吉良上野介を敵とし、現実的に可能な赤穂浪士の討入りを支持しました。浅野家の遺臣が、憎き幕府に立ち向かったので、「やんや」の喝采を送りました。
 その結果、「これは堀部安兵衛さんの手紙や」とか「大石内蔵助さんの盃や」というように、豊富な一級史料を大切にして、子孫に残したのです。

諸大名・旗本・庶民の支持
第一次史料の保存・管理
第一次資料の保存・管理
大石内蔵助自筆の杯

堀部安兵衛の愛刀

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浅野内匠家来討入口上書

朝日新聞の天声人語
忠臣蔵は源氏に負けずに国宝的
史料
(朝日新聞社):天声人語-忠臣蔵は源氏に負けずに国宝的
2008年12月14日(日)
 今年90歳になった脚本家の橋本忍さんが、週刊朝日で父親の思い出を語っている。芝居の好きな人だった。地方の町で小料理屋を営みながら、年に何度か芝居の公演をやっていた▼ところが「忠臣蔵」は意に染まなかったらしい。「一人で47人を斬(き)る話なら面白いけど、いい若い衆らが47人かかって年寄りを一人斬って何が面白いのか」と言っていた。既成の価値観にとらわれない見方に、少年だった橋本さんは感じ入ったそうだ▼その討ち入りから今日で306年になる。橋本さんの父君のような人は珍しいらしく、芝居の人気は衰えない。今年で千年の「源氏物語」が国宝的物語なら、「忠臣蔵」はさしずめ国民的物語といったところだろう▼天下の敵(かたき)役は吉良上野介だが、擁護する人もいる。菊池寛は小説「吉良上野の立場」を書いた。炭小屋に隠れた吉良が「これで討たれてみい、末世まで悪人になってしまう」「わしの言い分は、敵討ちという鳴り物入りの道徳に踏みにじられる」などと悲憤するのは、理のない話ではない▼赤穂の側にも悪役はいる。仇(あだ)討ちに加わらなかった「不忠者」たちだ。大石内蔵助と対立したという大野九郎兵衛などは散々な描かれようだ 。事情も言い分もあっただろうに、善玉悪玉のレッテルはいつの世も容赦がない▼〈熱燗(あつかん)や討入りおりた者同士〉。川崎展宏さんの句は、忠臣蔵を詠みながら、どこかサラリーマンの哀感に通じている。多くの日本人が折にふれてそれぞれの忠臣蔵を思う。元禄師走の出来事も、源氏に負けずに国宝的である。

参考資料
『忠臣蔵第一巻・第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)

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