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1651年〜1659年
慶応4年(1651)
4月20日
 三代将軍・家光が没する(48歳)。

8月18日
 家光の嫡子・家綱が江戸城にて四代将軍となる。

承応元年(1652)
12月
 山鹿素行は1000石で赤穂藩(江戸)に仕え、文武を教授する。その期間は万治3年9月までの9年と10ヶ月にわたる。

この年
 浅野長直は塩屋新田(100町余)を開発する。

明暦3年(1657)
12月21日
 吉良上野介(18歳)は三姫(19歳。米沢藩主上杉綱勝の妹)と結婚する。

12月27日
 吉良上野介(17歳)は従四位下に進み上野介と名のる。
 
 ここで吉良家の歴史を見てみよう。大体は次のようである。足利将軍家の親戚が足利義氏で、その子長氏が三河国幡豆郡吉良庄に移り、吉良を名のる。吉良家は足利幕府の下で渋川・石橋と共に御三家といわれ、大名でも道で会うと、下馬の礼をしたという。江戸時代の徳川家康の時代になっても、末孫義定は幡豆郡に3200石を与えられ、高家衆に任ぜられた。その孫が義冬で、その子が上野介である。

万治2年(1659)
1月15日
 大石内蔵助良雄が播州赤穂城内で生まれる(幼名松之丞)。

この年
 吉良上野介(19歳)は将軍家綱に仕える。以降将軍の年賀使として15度、幕府の使いとして9度京都に上洛している。

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