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1661年〜1664年
寛文元年(1661)
 赤穂城が完成する。山鹿素行も手を加えたといわれる。

寛文2年(1662)
8月14日
 吉良上野介(22歳)は大内仙洞御造営の使いとして初めて上洛する。

寛文3年(1663)
1月13日
 吉良上野介(23歳)は霊元天皇践祚(即位)の賀使として上洛する。

2月19日
 吉良上野介はその功により父を越えて従四位上に進む。その上1000石が加増(上野国緑野と碓氷の両郡)される。

この年
 吉良上野介の長子三之助が生まれる。

寛文4年(1664)
7月11日
 吉良三之助(2歳。上野介の長子)は、米沢上杉家を相続して喜平次と称し、米沢15万石の城主となる(養父の上杉綱勝は上杉謙信から数えて4代目。この時すでに30万石から15万石に減封されている)。

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