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1666〜1669年
寛文6年(1666)
10月24日
 山鹿素行(45歳)が『聖教要録』により罪を得て赤穂に流される。

 山鹿素行は赤穂城二の丸の大石頼母助良重(内蔵助の大叔父)邸の隣屋敷に迎えられる。1675年7月までの9年と9ヶ月間赤穂にいたことになる。

寛文7年(1667)
8月11日
 浅野内匠頭長矩が江戸藩邸で生まれる。吉良上野介はその時27歳で、大石内蔵助は9歳である。

寛文8年(1668)
3月25日
 吉良義冬(61歳。上野介の父)が没する。

3月26日
 浅野内匠頭長直(内匠頭の祖父)が勅使饗応役を命ぜられる。

7月8日
 吉良上野介(28歳)は義冬(上野介の父)の死去により家督(三河国幡豆郡3200石)を相続する。

寛文9年(1669)
この年
 石束理玖(但馬国豊岡京極家家老石束源五兵衛の長女)が豊岡で生まれる。

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