| 1690年〜1691年 |
| 元禄3年(1690) 4月16日 |
| 吉良上野介(50歳)は左兵衛義周(6歳)を養嗣子として鍛冶橋の屋敷に迎える。上杉家の家臣山吉 新八郎らが付き人として同行する。 |
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| 5月 |
| 浅野内匠頭(24歳)は参勤につき赤穂を発つ。 |
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| 6月2日 |
| 浅野内匠頭が江戸に着く。 |
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| 12月23日 |
| 浅野内匠頭が本所火消役を命ぜられる。 |
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| 元禄4年(1691) 1月 |
| 江戸・昌平坂に大成殿が落成する。 |
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| 7月5日 |
| 吉良上野介(51歳)は三女菊子を上杉家綱憲(28歳)の養女として、酒井忠平に嫁がせる。 |
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| 7月22日 |
| 浅野内匠頭(25歳)が江戸を発って赤穂に向かう。 |
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| 8月10日 |
| 浅野内匠頭が赤穂に帰国する。 |
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| 12月 |
| 浅野長照(備後三次の浅野長治に子がいなかったので、浅野本家の光晟の三男長照が養子となっていた)は子がなかったので、浅野本家の綱晟(光晟の子)の次男長澄を養子として隠居する。浅野内匠頭は長澄に家督を継いだ喜びの使いを出す。 |