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(1701年6月24日〜6月29日)
元禄14年(1701)
6月24日
 浅野内匠頭の百ヵ日法要を行う。江戸泉岳寺には堀部安兵衛(32歳)・奥田孫太夫(55歳)・高田郡兵衛らが参詣する。その後、三人は安井彦右衛門(元江戸家老650石)宅に立ち寄る。安井は「今はしばらく大学様の行く末を見届けたい」と答えるのみである。

 赤穂花岳寺には内蔵助ら赤穂残留の家臣が参詣する。

6月25日
 大石内蔵助は腫れ物も治癒したので、尾崎村新浜港(伊和都比売神社下)から海路大坂を経て山科西山村へ向かう。

 浅野家親類に対して御目見えが許される。

6月27日
 赤穂城の残米が売り払われる。

6月28日
 大石内蔵助は山科西山村に隠居する(討ち入りまでの1年4カ月ここに滞在する)。ここには進藤源四郎(内蔵助の叔母の夫。赤穂400石)の土地がある。内蔵助は進藤を頼りに1800坪の土地を手に入れる。

6月29日頃
 磯貝十郎左衛門(23歳。浅野内匠頭の児小姓から150石の用人に取り立てられる。赤穂藩随一の美男子)は堀部安兵衛を訪ねる。磯貝は「昨日、安井彦右衛門様を訪ねたら、『先日堀部らが来て吉良上野介を討ち取りたいと申しれていたが、もってのほかだ』と言っておりました」と伝える。そこで堀部と磯貝2人が従うのは大石内蔵助のみと確認する。

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