浅野家の再興を願う
(1701〜02年)
1 | 5月22日 | 内蔵助は尾崎で病気療養 | 1702年 | ||
2 | 6月 1〜19日 | 目付が綱吉に赤穂城収公を報告 内蔵助が瑞光院に内匠頭の墓代を寄進 内蔵助が妻子を大坂に先発させる 安兵衛「大学を気にするものがいて恥ず かしい」 |
11 | 1月 9〜14日 | 原・大高らが内蔵助の可笑庵に集会する 萱野三平が自害する |
3 | 6月24〜29日 | 安兵衛ら泉岳寺に墓参後、安井に裏切 られる 内蔵助も花岳寺に墓参 内蔵助は山科へ出発する |
12 | 1月17〜25日 | 高田郡兵衛が脱落する 安兵衛「内蔵助と手を切り、討ち入りたい」 内蔵助が吉田忠左衛門を呼び出す |
4 | 7月 1〜22日 | 内蔵助は柳沢吉保を通して浅野家再興 運動 |
13 | 1月26〜28日 | 堀部親子らは原・大高らに「3月中に討ち 入る」 |
5 | 8月 8〜21日 | 内蔵助が瑞光院で供養 安兵衛「大学を第一にするのは忠節では ない」 |
14 | 2月 3〜16日 | 山科会議「大学処分までまつ」「その後討 ち入り」 |
6 | 9月 2〜18日 | 上野介が呉服橋より本所に移転命令 安兵衛の説得役の原が逆に説得される 再び大高を江戸に派遣する |
15 | 2月18〜24日 | 吉田が山科会議の結論を持って江戸へ 出発する |
7 | 10月 5〜29日 | 大高も安兵衛に逆説得される 内蔵助は東くだりを決心する |
16 | 3月 1〜下旬 | 武林が山科会議の結論を聞き激怒する |
8 | 11月 3〜23日 | 江戸会議で1周忌まで待つとの結論 内蔵助は瑶泉院を訪ね、持参金の使用 許可をもらう 橋本平左衛門が心中する |
17 | 4月 2〜末日 | 安兵衛・原らは内蔵助とは別行動を決 意する 内蔵助は妻を離別し、お軽を側女とする |
9 | 12月 5〜15日 | 上野介が隠居し、義周が相続する 上野介の隠居で、内蔵助と安兵衛が対 立する |
18 | 5月 | 内蔵助が再び再興運動(これが最後) をする |
10 | 12月23〜29日 | 安兵衛は「上野介が上杉家に隠居では」 とあせる |
19 | シナリオ06 |