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(1701年9月2日〜9月18日)
元禄14年(1701)
9月2日
 幕府は吉良上野介に対して、屋敷を呉服橋内から本所へ移すよう命令する。

 隠居の身の吉良上野介は江戸城の内郭(幕府の管轄地域)である呉服橋の屋敷を取り上げられ、本所松坂町の松平登之助(両国橋の外の外郭)の上屋敷(空屋敷)への移転を命じられる。新築した家の建坪は846坪で、土地面積は2550坪である。

 移転の理由は、呉服橋の吉良家の隣の蜂須賀飛騨守が「浅野浪士の討ち入り警戒は大変だ」という苦情を老中に届け出たからともいわれている。

 移転の結果、江戸市中の人々は「幕府は浅野のご家来衆に仇を討たせるつもりではないか」と噂するようになる。

9月中旬
 大石内蔵助は「勝手に討ち入りを計画して失敗すれば仇討ちどころか、笑いものになる」と心配して、江戸急進派を説得するために原惣右衛門・郡奉行200石潮田又之丞(33歳)・書物役100石中村勘助(46歳)を江戸に派遣したが、逆に3人は堀部安兵衛らに説得されてしまう。

9月18日
 大石内蔵助は原らが逆に説得されたのを知って、さらに進藤源四郎(51歳)・中小姓20石5人扶持大高源五(30歳)を江戸に派遣する。

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