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(1701年10月5日〜10月29日)
元禄14年(1701)
10月5日
 大石内蔵助は書状を堀部安兵衛ら江戸の3人に送って自重するよう説得する。
 その内容は次のようある。@浅野大学長広様が再興されたら亡君も喜ぶ(一枝である)A自分を捨て根元がしっかりしておれば、世間の批判も気にならないB決して事を急いではならない。

10月7日
 堀部安兵衛は原惣右衛門・潮田又之丞と鎌倉八幡宮に参拝し、神前で討ち入りの連判をする。その上で上方の同志に賛成を求める事にする。

10月8日
 進藤源四郎・大高源五が江戸に到着する。この2人も堀部安兵衛宅(両国矢倉米沢町)を訪ねたが、逆に説得されしまう。

10月9日
 堀部安兵衛は原惣右衛門と相談し、大石内蔵助の江戸東下りを促す。

10月23日
 大石内蔵助は意を決して、奥野将監・河村伝兵衛・岡本次郎左衛門・中村清右衛門を従え山科を発って江戸へ向かう。
 目的は次のような内容である。@泉岳寺へ墓参するA江戸急進派を説得するB受城目付荒木十左衛門・榊原采女に礼をするC吉良上野介の動静を調査するD主家再興の運動を続けるE瑶泉院への挨拶をする。

10月29日
 堀部安兵衛ら3人は先着の潮田又之丞・中村勘助・大高源五と江戸在住の武林唯七と江戸で会談し、大石内蔵助との会議の下準備をする。この席で3人は自分らが作った神文を見せる。
 内容は「来る3月の亡君の一周忌を期して、吉良宅で討ち死にするのが忠道である」というものである。潮田らは大石がきて未だ志が決まらないなら、その時は我々も神文を作ると誓う。

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