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(1701年11月3日〜11月23日)
元禄14年(1701)
11月3日
 大石内蔵助・奥野将監・河村伝兵衛・岡村次郎左衛門・中村清右衛門らは江戸に到着し、芝三田松本町の前川忠太夫(浅野家出入りの町人)方に宿泊する。

11月4日
 堀部安兵衛ら3人は大石内蔵助を訪れて予備会談をする。その結果3人は大方の目指す方向が実現する見通しがついたと喜ぶ。

11月6日
 馬廻160石橋本平左衛門(18歳。茂左衛門の子)が大坂新地において淡路屋遊女はつ(19歳)と心中する。その理由は、仇討ち(武士の義理)とはじめて知った恋い(人情)との板挟みに悩んでのことである。

11月10日
 大石内蔵助は江戸の同志を芝の前川忠太夫方に集める。堀部安兵衛の建議を取り入れ、仇討ち決行は亡君の1周忌(明年3月)、つまり大学様の処置が決定するまでと定め、一同をなだめる。また、江戸で大勢が寄り合って相談するのはよくない。京都円山霊山辺りで寄り合うことも決める。
 この時の出席者は13名で、その名は内蔵助・奥野将監・河村伝兵衛・岡本次郎右衛門・中村清右衛門・潮田又之丞・中村勘助・大高源五・武林唯七・勝田新左衛門・堀部安兵衛・奥田孫左衛門・高田郡兵衛である。

11月14日
 大石内蔵助は泉岳寺の浅野内匠頭の墓に詣で、不破数右衛門に対して墓に謝罪させて、不破の帰参を許す。

 続いて、内蔵助は、赤坂今井町に瑶泉院を訪ねて挨拶をする。

 大石内蔵助は受城荒木十左衛門・榊原采女の両目付を訪ね、浅野家再興の尽力に対して礼をのべると共に、跡目相続について嘆願する。

11月22日
 潮田又之丞・中村勘助・中村清右衛門は江戸を発って京へ向かう。

11月23日
 大石内蔵助は奥野将監・河村伝兵衛・岡野次郎左衛門・進藤源四郎らと江戸を発って京へ向かう。原
惣衛門と大高源五は江戸で家を買い求めるために居残る。

 内田三郎右衛門(高田郡兵衛の伯父)は高田弥五兵衛(郡兵衛の兄)を通して、高田郡兵衛を養子に
したいと申し込む。

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