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(1701年12月4日〜12月25日)
元禄14年(1701)
12月4日
 
 進藤源四郎、潮田又之丞、中村清右衛門、中村勘助ら、京都に到着する。

12月5日
 大石内蔵助らは京都山科に帰着する。

12月9日
 潮田又之丞、中村勘助らは、山科の内蔵助邸を訪問し、連判神文を作成する。

12月11日
 幕府は吉良上野介から出ていた隠居の願いを許可する。養子左兵衛義周(16歳。米沢15万石上杉綱憲の子)の家督相続も許可する。世間の風当たりが強すぎたので、上野介は隠居を幕府に申し出ていたのである。
 この結果、上野介は上杉家か米沢に引き取られる可能性が出てくる。堀部安兵衛ら3人が原惣右衛門
・大高源五に知らせる。この幕府の吉良家に対する処置で、11月10日の同意につて大石内蔵助と堀部
との間に解釈の違いが生まれる。

12月14日
 潮田又之丞・中村勘助・中村清右衛門が京都に到着する。

12月15日
 江戸の原惣右衛門・大高源五は大石内蔵助に吉良隠居を知らせる書状を送る。

 大石松之丞は山科で元服し主税良金と名のる。

12月25日
 原惣右衛門・大高源五は、江戸を出発して、帰途に着く。源五は病気のため、後に出発する。

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