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(1702年4月上旬〜4月末日)
元禄15年(1702)
4月上旬
 内蔵助は、千馬三郎兵衛を江戸に派遣する。

4月2日
 神崎与五郎は江戸に到着し、原惣右衛門・堀部安兵衛・奥田孫左衛門らと会談したが逆に説得され、
大石内蔵助と別れて討ち入りを決議する。その後、神崎は吉良邸裏門前の前原伊助の米穀商に住む。

 巷説では、神崎が箱根越えの時、馬喰丑五郎に佗証文を書いたというが、フィクションである。

 原惣右衛門は、堀部安兵衛・奥田孫太夫に書状を送る。その内容は次のようである。「群を離れ少人数で宿意を果たそう」と本心を披露する。その上「同志は14〜15人に上る。上方は自分(原)・大高源五・潮田又之丞・中村勘助・岡野金右衛門・小野寺幸右衛門、江戸では倉橋伝助・田中貞四郎がよくないか」というものである。

4月12日
 千馬三郎兵衛が江戸に到着する。

4月15日
 大石内蔵助は口頭で妻理玖を離別する。そこで理玖は長女クウ・次男吉千代らを連れて山科を発ち、
豊岡の実家石束源五兵衛方(但馬国城崎郡)へ向かう。

4月
 二文字屋(京都二条寺町の出版業の娘)のお軽(18歳)が進藤源四郎の世話で内蔵助の側女となる。

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