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NO.097 第5章 武家社会の成長

凡例:[1    ](項目)「2    」(人名)『3   』(書籍名・作品名)

[4] 戦国大名の登場
1] 戦国大名エピソード
*B[1    ]時代(応仁の乱以後の100年間)
16世紀前半
@ 応仁の乱後−下剋上の風潮の激しさ
A 京都を中心とする近畿地方とその周辺−細川氏を中心とする内部の権力争い
a 幕府の権威が低下
b 実権の推移−細川氏→その家臣の三好長慶→その家臣の松永久秀
B その他の地方−*A[2    ]大名
a 実力によって領域支配(*B[3    ])を確立した大名が諸国に誕生
b 一国の土地と人民とを一元的に支配(分国=一円支配)した権力者
戦国大名の出自
@ 守護−甲斐(武田信玄)、駿河(今川氏親)、豊後(大友宗麟)、
薩摩(島津貴久)、周防(大内義隆)、常陸(C佐竹義宣)
A B守護代−越後(上杉謙信)、尾張(織田信長)、越前(朝倉孝景)、出雲(尼子経久)
B 国人−陸奥(伊達植宗)、近江(浅井長政)、安芸(毛利元就)、土佐(長宗我部元親)、
肥後(龍造寺隆信)、肥後(相良義陽)、下総(結城政勝)、
三河(徳川家康)、山形(最上義光)、備前(宇喜多秀家)、関東(北条氏)、
安芸(小早川隆景)、南部(南部信直)、会津(葦名盛舜)
C その他−相模(北条早雲)、美濃(斎藤道三)、豊臣秀吉
D 国人・守護代から成り上がった戦国大名−圧倒的多数
経過
1455年 鎌倉公方のC「4    」(父持氏)
@鎌倉を保ち得ず下総の古河に移る
A*B[5    ]公方のはじめ
1457年 「6    」(父義教)
@足利成氏を討つべく下向したが、関東に入れず
A上杉氏に擁立されて伊豆の堀越に移る
B*B[7    ]公方のはじめ
関東管領扇谷上杉氏の家宰E太田道潅(26才)、江戸城建造(七重八重…)
1467年 [8    ]の乱(戦国時代のはじまりをつげる大乱)
1471年 越前目代の朝倉氏、守護A「9    」氏を追放
@尾張支配−織田氏
A遠江支配−甲斐武田氏
1473年 「10    ](9才。父義政)、九代将軍となる
1486年 D山内上杉氏、太田道潅を殺害→D扇谷上杉氏と対立
1489年 @9足利義尚、没
1490年 「11    」(25才。父義視)、十代将軍。義政、没
1491年 *A「12    」(60才。戦国大名のさきがけ。駿河今川氏と姻戚)
@E足利茶々丸の伊豆攻略
A堀越公方滅亡
B相模の小田原城に進出→後北条氏
1493年 E細川政元(28才。父勝元)、足利義澄(15才。父政知)を擁立
将軍義稙、越中へ敗走→E流れ公方→細川氏、実権へ
三好氏、河内の畠山氏を追放
1506年 一向一揆、越後守護長尾能景(48才。謙信の祖父)を殺害
1507年 6月 細川澄元、父の管領政元(42才)を殺害し、弟高国(19才)を追放
8月 細川高国(24才)、兄澄元を殺害
越後守護代長尾為景(父能景。謙信の父)、守護上杉房能を殺害
1508年 高国、義澄を追放→義稙(44才)を将軍に復帰させて、高国は管領となる
解答

正解数(   )問/問題数(12)問=正解率(    )%

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