NO.098
第5章 武家社会の成長
凡例:
[1 ](項目)
、
「2 」(人名)
、
『3 』(書籍名・作品名)
1-2〕
戦国大名(2)
1
経過
1521年
3月
管領細川高国(38才)、将軍義稙(57才)を淡路に追放
9月
守護代浦上村宗、播磨・備前・美作守護赤松義村を殺害
12月
A
「1 」
(11才。父義澄)、十二代将軍となる
1523年
浅井享政(小谷城主)、近江北半守護京極高清を尾張に追放
1524年
D
「2 」
(39才。父早雲)
@武蔵守護上杉朝興(37才)を殺害
A江戸城占拠(執権の北条氏と区別し、E後北条氏という)
1531年
三好元長(長慶の父)、管領細川高国(48才)を殺害
1541年
1月
大内氏のA
「3 」
(45才)・陶隆房、尼子経久(84才)を殺害
(大内・毛利・陶氏対尼子氏)
6月
A
「4 」
(信玄。21才)
@父信虎(48才)を今川義元のもとへ追放
A甲斐国内を統一
1542年
C
「5 」
、美濃守護土岐頼芸を尾張に追放
1546年
4月
C
「6 」
(32才。父氏綱)、扇谷上杉氏を滅亡させる
12月
A
「7 」
(11才。父義晴)、十三代将軍となる
1549年
D島津貴久、薩摩・大隅・日向を統一
7月
D
「8 」
(28才。父元長)、実権→義晴・義輝、近江に敗走
1550年
A
「9 」
(宗麟。21才)、父の豊後守護義鑑を殺害
1551年
陶隆房、周防・長門等6か国守護D
「10 」
(45才)を殺害
(毛利・陶氏対大内氏)
1553年
E川中島の戦い
@B
「11 」
(24才。父為景)が関東進出
A信濃に進出のB
「12 」
(33才。父信虎)としばしば交戦
1554年
北条氏康、B
[13 ]
公方(下総公方)を攻略→関東大半支配
1555年
厳島の戦い(*A
「14 」
(39才)
がE陶晴賢を殺害した戦い)
1556年
斎藤義龍(30才)、父の美濃守護C
「15 」
(63才)を殺害
1560年
B
[16 ]
の戦い(A
「17 」
(27才)が
駿河・遠江・三河守護のB
「18 」
(42才)を破った戦い)
1561年
関東管領山内上杉憲政
@越後守護上杉氏の守護代長尾景虎31才をたよる
A長尾景虎、関東管領となり、名を*A
「19 」
氏と改める
1563年
C
「20 」
(50才)、主家のD
「21 」
氏を殺害→実権へ
1565年
松永久秀、将軍A
「22 」
(30才)を殺害
2
戦国大名の権力
イ
A
[23 ]
(支配領域。惣村)の直接支配
ロ
軍事制度の確立
@
家臣団へ組織化(領内の国人から地侍までを)
a
A
[24 ]
(在地の有力武士)
b
*A
[25 ]
(農民身分で大名と主従関係を結んで侍身分を得たもの)
A
家臣団の編成
a
寄子・寄親制(新しい家臣を有力家臣に預けるという形で組織化)→戦力強化
b
*C寄親(大名の一族であるE一門衆・E一族衆。家臣の譜代衆)
c
その下に配属−*C寄子(古くからの土豪で遅く家臣化したE国衆・E外様衆)
B
家臣団(直臣団)の下に郎党・仲間・小物・足軽配属
C
軍(いくさ)奉行が組頭(有力家臣が寄親)を統率
ハ
*B
[26 ]
制(土地の広さを銭納による年貢収納額で表す方法)→軍役負担
@
家臣の所領を貫高で表示
A
軍役賦課の基準
ニ
C
[27 ]
地−D
[28 ]
(家臣)に与えられる土地
┌─一族衆(一門)
家臣団─┼─譜代(国衆)
大名─┤│ └─外様(新参衆)
│└─┬──直臣団──┬────(郎党等)
│ │ │寄親─────寄子
│ │ │ ↓ ↓
└─軍奉行──────┘組頭─────組
正解数( )問/問題数(28)問=正解率( )%