NO.096
第5章 武家社会の成長
凡例:
[1 ](項目)
、
「2 」(人名)
、
『3 』(書籍名・作品名)
7〕
一揆
1
*A
[1 ]
宗(別名*A
[2 ]
宗)−開祖親鸞
イ
専修寺派
@
真宗高田派−本山(三重県一身田いっしんでん専修寺)
A
1465年−親鸞が下野高田に創建した寺を10世真慧(しんえ)が現在地に移転
ロ
D本願寺派(本願寺を本山とする真宗の一派)
ハ
経過
1310年
E覚如(本願寺三世。曾祖父親親鸞)、大谷廟堂護持(血統を重視)
1457年
*A
「3 」
(八世。父存如)
と27人の子供→本願寺を教団化
@散在するD
[4 ]
(一向宗の信者集団)をC坊主を通して組織化
A東国門徒と対立→C
[5 ]
寺派(本願寺を本山とする一派)形成
B以前−仏光寺派(自分の名を記帳した時往生を約束されると説く)有力
C蓮如の方法
a.E
[6 ]
(阿弥陀仏のすくいを信じて念仏を唱えれば、だ
れでも極楽往生できると説いた平易な文章)
b.*A
[7 ]
(農民の惣的結合)の利用
・村落の道場に本願寺の下付した本尊の絵像を安置
・ここで講によってむすばれた信者であるE
[8 ]
が会合
c.本願寺→末寺・坊主→有力農民→門徒農民
d.国人を門徒化することで支配維持
D結果−北陸・東海・近畿地方に大きな勢力を確保
1465年
真慧(十世)の下野E専修寺派(真宗高田派)、一身田(三重)進出
1471年
蓮如、越前D吉崎道場(D吉崎御坊)創建→加賀に進出→
一向宗の坊主や国人、農民・門徒を率いて一向一揆形成
1474年
一揆、加賀守護代小杉氏を追放
1478年
加賀守護富樫政親の圧迫で、山科に移る(D山科本願寺再建)
1488年
*A
[9 ]
(代表的な一向一揆。20万人)
@守護富樫氏を打倒
A約1世紀にわたって合議にもとづき、加賀国を支配
1496年
B大坂に石山坊創建
1532年
細川晴元、E本願寺証如(光教)と結び、三好元長の拠点堺を攻略
同
山科本願寺、兵火で消失→石山に本願寺建立
1580年
秀吉、本願寺派が石山より京都本願寺に移る事を許可
2
*A
[10 ]
宗(開祖日蓮)
イ
鎌倉時代末に京都に進出
ロ
*B
「11 」
@
将軍義教に
『立正治国論』
をもって諌言8度
A
他宗との宗論66度。焼鍋の拷門7度(鍋冠上人)。建立寺院30余
B
中国・九州地方まで教勢拡大→商人層にまで拡大
ハ
*C
[12 ]
(京都の町衆の法華宗徒が土一揆に対抗して自衛した一揆)
@
戦国時代−京都の日蓮宗徒は市政に参加する程の実力発揮
A
経過
1532年
細川晴元、法華一揆を利用し、山科本願寺を攻略
同
法華一揆、近江の六角氏の助勢で京都支配
[13 ]
年
*C
[14 ]
の乱(法華一揆が延暦寺衆徒と衝突)
同
延暦寺衆徒、京都21か寺の日蓮宗寺院を放火→焼失→教勢衰退
3
一向一揆の発展
イ
特に強い国
@
畿内、三河、尾張長島、美濃、紀伊雑賀、越前吉崎
A
東海地方−16C後半から、一向一揆が盛大→家康・信長をなやませる
B
経過
1563年
徳川家康、三河の一向一揆を平定
1570年
E顕如(十一世)の長島一揆、、織田信長と戦う
ロ
近畿地方の坊主・武士−本願寺の指令によって各地の大名間の戦に巻き込まれる
4
天下は一揆の世
イ
一向一揆
ロ
法華一揆
ハ
前代からの土一揆や徳政一揆が続発
正解数( )問/問題数(14)問=正解率( )%