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NO.209 第8章 近代国家の成立(2)

凡例:[1    ](項目)「2    」(人名)『3   』(書籍名・作品名)

1-2〕 明治の文化(2)
思想と信教(2)
日露戦争後
@ 日露戦争の勝利→日本、列強の一員となる
A 国家目標達成→国家主義への疑問
B 農村−国家的利害よりも地方社会の利益を重視
C 都市−国家や政治から離れて実利追求
D 青年
a [1   ](明治36)年−一高生E「2   」18才、「不可解」と遺書
b 煩悶
・国民の関心−外から内へ
・青年−人生の意義を求めて懐疑
E [3   ](明治41)年−*C[4    ](自由思想を悪化とし是正を諭す)
a 列強の一員としての日本を支えるための国民道徳の強化
b 地方社会の共同体的秩序の再編
信教
神道−国教化政策の失敗
[5    ]神道(政府が宗教として公認した13派の神道)
1814年 [6   ]教(黒住宗忠)
1838年 [7   ]教(中山みき)
1859年 [8   ]教(川手文治郎)
1892年 E出口なお、E大本教創始→E養子王仁三郎(おにさぶろう)が組織化
仏教
D井上円了
@ 雑誌『東洋哲学』−国粋主義の立場から仏教の覚醒を主張。キリスト教反対
A 哲学館(今の東洋大学)創立
「9    」(浄土真宗僧侶)
@ 明治政府の神道国教化に反対
A 真の神仏分離・信仰の自由を主張し、仏教の独立に成功
.E清沢満之−精神主義を主張して近代仏教への脱皮を説いたが、教団の改革に失敗
キリスト教−教育・社会副使・廃娼運動
経過エピソード
1859年 CJ.Hepburn45才、来日(Eヘボン式ロ−マ字、E明治学院創立)
DG.Verbeck(フルベッキ。プロテスタント宣教師)30才、来日
1861年 ロシア人宣教師ニコライ、Eハリストス正教会(ギリシャ正教)伝来
1871年 「10   」(米人)
@D熊本[11   ](藩立学校)設立
A生徒−D海老名弾正、徳富蘇峰、小崎弘道ら
1872年 ES.Brown(プロテスタントの日本基督教会)設立
1876年 熊本洋学校の生徒、E熊本バンド結成(海老名、E浮田和民)
1880年 D植村正久・浮田・小崎ら、E東京キリスト教青年会設立
浮田、E『六合雑誌』創刊
1889年 [12    ]憲法制定(信教の自由を認める)
1891年 [13    ]事件
@A「14    」31才が教育勅語に敬礼せず辞職
Aキリスト教への弾圧
思想家・教育者−新島襄、内村鑑三(E無教会派)、植村正久
教育勅語(1890年)−儒教的傾向に基づく国家主義の風潮
解答

正解数(   )問/問題数(14)問=正解率(    )%

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